ペトリカメラの中心的技術者であった柳澤明さんが2012年11月9日に89歳で亡くなられた。
「日本の労働者自主管理」によれば、柳澤さんはカメラ好きであり、戦前から職人としてカメラ製作を始められたそうだ。
戦後に入ると柳澤さんはペトリブランドのカメラに関する多くの特許を出願し始める(
本サイト ペトリカメラ関連特許一覧)。
現在判明しているペトリカメラ(栗林写真工業)の特許、実用新案60件のうち半分を超える35件をお一人で出願している。
柳澤さんはペトリカメラのほとんどすべての機種の設計にかかわり、ペトリカメラ倒産時には常務取締役にあった。ペトリカメラ倒産後、柳澤さんは組合による自主生産の際には元経営側の立場にあったにもかかわらず、ポケットカメラの製作工場の紹介や、一眼レフMF-1のシャッター不具合の対処のため、技術者の斡旋を行った、とある。(「日本の労働者自主管理」)。
和解後に設立されたペトリ工業でも柳澤さんは常務取締役の立場にあったが、生涯にわたり第一線の技術者であり続けたようだ。ペトリ工業では主にズーム双眼鏡に関する特許の出願を続け、最新のものは2011年に公開された。
我々は2012月5月に柳澤さんにコンタクトを試み、ペトリのカメラ製品について「望外の評価を頂きありがたく感一入」とのお返事を戴いた。その後交流を続けようとしたが、残念なことにこの一通のお手紙だけが最後に残されることとなった。
柳澤さんのご冥福を心からお祈りし、その業績をたたえるため一文を記した。
2012.11.19 2ch ペトリスレ住民一同
追記:柳澤さんのご親族のご厚意によりお写真を掲載しました。転載はご遠慮ください。
2010年5月、87歳の時のお写真です。(2013.2.5)
最終更新:2013年02月05日 08:39