Fotochrome


レンズ Fotocolor F4.5 105mm 3群3枚 前玉回転式
シャッター 1/30秒固定
重量・大きさ 185x140x90mm 725g
価格 $50
発売 1965年x月

米国フォトクローム社向けにペトリで生産された変わった形態のカメラ。フォトクローム社はペトリの米国のディストリビューターでもあった。

専用カートリッジのダイレクトポジフィルムを使用する。白黒と同じ値段でカラープリントを提供するのがねらいであった。フィルムをそのままプリントとして使用するため画像を反転する必要があり、カメラ内のミラーで90度反射し底にあるフィルムに投影している。
ボディはプラスチック製の一体成形。セレン素子を使用したサークルアイシステムで絞りを制御する自動露出。
使用フイルムの色温度がタングステン光になっているため、補正のためと思われるカラーフイルターがレンズに内蔵されている。
露出不足時はファインダー内に赤の警告表示がでてフラッシュの使用を促すようになっているなど、簡単に使用できるよう工夫 されている。
500~600台もしくはそれ以上生産されたとされるが、ほとんど市場で見られないまま終わった。
簡易現像キットがあり、暗室でなくとも現像が可能であった。

取扱説明書がここで確認できる。

元ペトリカメラ技術者の証言によると、設計は柳澤明氏が基本設計、半田善朗氏がシャッターを担当された。同年に「ポラロイド・スゥインガー・カメラ」というポラロイドの廉価機が発売されたため、市場での競争力は無く計画は失敗した。

1978年頃、米国の倉庫に眠っていたものが日本に戻り、125台がブローニーフィルムを使用できるよう改造されたとされる。

特許や意匠が柳澤明氏の名前で出願されている。


FaceBookの Petri Camera グループに、森住 雅明氏が元ペトリカメラ技術者の三刀谷氏(故人)から聞いた話として下記の投稿があった。
興味深い証言のため、森住氏から転載許可を頂いた。(2017.6.27)

「故三刀谷氏からの話。ファンド相手に、画期的なポラロイドに替わる写真システムを開発すると言う名目で金を出させた。
しかし、何もできない事態に陥り、逃げ切れなくなり、当時あったアンスコプリントン(反転印画紙)を用いた写真システムを考え、カメラ製作をペトリに依頼した。
しばらく製造を続けたが、なんとなく胡散臭く、危なく感じられた頃、コパルが仕事の打診に来た際、フォトクロームの仕事を譲渡した。
ほどなくして、フォトクローム社自体が潰れ、コパルが在庫を抱えることとなった。コパルの打診が無ければ、ペトリが大変な目に合うことになった。」

なお、フォトクロームとコパルの間にカメラの生産に関して訴訟があったことが確認されている。


  • 使用フィルム(フォトクローム・ピクチャーロール)について

米国アンスコ社が開発したアンスコ・プリントン(Ansco Printon)が基になっている。
白色トリアセテートフィルムを支持体としたアグファ方式のカラープリント材料で、感度はタングステン光でDIN 6(ISO 3)。現像後にそれ自身がプリントとなる。
巻き上げ側、供給側共にカートリッジに収められた10枚撮り。1コマごとに巻き上げ停止位置検出用の孔が開いていた。これらの仕様は本機専用と思われる。



ペトリと同じ意匠のレンズキャップ

カメラの箱とフィルムのパッケージ

フィルムのパッケージ

フィルムのカートリッジ(1)

フィルムのカートリッジ(2)

  • 追記(2017.9.26)

匿名の方からドイツ語で書かれたフォトクロームの記事をご提供いただいた。


発行年、掲載誌は現時点で不明だが、ドイツ語圏でも宣伝が行われていたことが伺える。

記事全文をOCRで読取り、Google翻訳で機械翻訳(独→英)した。なお、日本語に変更することもできる。
記事のGoogle翻訳(独→英)


また、ペトリがこのカメラを設計する前、1964年にフォトクローム社は下図のようなカメラの意匠を出願している。
ペトリで設計されたフォトクロームカメラの原型であるかもしれない。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2018年02月12日 11:06