2巻 Amazonレビュー

ポケモンと融合するとはいえ、一部で多くの人が期待されているような
王道のただの融合変身擬人化ものではなく、融合したポケモンをベースとした人間同士の格闘アクションと言った方がいいでしょうか…。
ハリルなんかそのままで強いポケモンとやりあっても互角以上に戦えそうな強さの人間です(まぁ少年誌はこういうのは当たり前ですが)
アニメポケモンのベストウィッシュのアイリスも身体能力や力が他のトレーナーと段違いで、
ポケモンも使わずにモグリューを仲間にした子です。
思うんですが、今はポケモン世界でポケモンと人間との力の差を埋めていきたい、そんな感じがしてるんです。
今だから許される感じで昔ならポケモンが力を発揮する以上に人間が越えるのはタブーな感じでしたから。
BURST戦士たちも強いとはいえ、ポケモンと融合してないときは無能力(ポケモンの技は使えないので)なのでぎりぎりなラインですごい人たちだと思います。

見所、襲ってきた2頭のバッフロンをそのまま素手で止めるリョウガ、
トレーナーの必要完全なしの超人ライバルのハリル、ゾロアと融合します。
ガントルのB戦士レンドさんと修行、ゼクロムと出会う。私の見た感想はこんな感じです。

これからのお話を見て、思いますがハリルやリョウガ以外の一般のB戦士はあまり強くない傾向で、
伝説のポケモンなどには普通に対抗できないかもしれませんね。
でもB戦士がポケモンと関わるのはたとえば自分で戦って仲間にしたりするんでしょうか?これはそういう新しい世界なのかもと今は思ったりしてます。

ライバルキャラ登場:ハリル
融合したゾロアをベースとして、自身の常人を越えた身体能力と
強烈な足技を駆使して戦う少年のB戦士です。
ゾロアのイリュージョンの能力も使える他、融合して自分の力と合わせて使うことの出来る
ゲームのシャドーボール&ナイトバーストの派生必殺技。闇影射球(ナイトシャドーショット)を使います。

この世界でのポケモンと人間との関係性、リョウガのお父さんが昔戦っていた悪の組織に
対抗するためのチームの中にいくらかの進化前のポケモンたちがいて、戦い一緒に傷ついていたことから、
この世界では人間とポケモンの関係はモンスターボールを介さない、より対等なのではないかと思ってます。
リョウガのお父さんと共に戦っていたゼクロムはBハートに自分から封印され今はリョウガのパートナーです。

私のゲームのポケリバの考え、ゲーム化の際は、たとえば主人公の少年を普通のトレーナーたちより
鍛えたぐらいに強い人間程度にして、人外な身体能力やパワーは別にポケモンと変身後でもいいと思ってます。

まぁ漫画でBURSTするキャラがそれぞれ強いのは今まで
か弱い人間>ポケモンがベースだった世界を変えて
人間が傷ついて戦うという主体のキャラを確立して際立たせるためですが。

上のような部分があるのに公式であるゲームもポケモンと人間は対等であるという変わることのない一つの答えしかありません
感じ方や思い入れ答えは人それぞれでいいんです…。
でも傷ついて痛くて戦うポケモンがいるのに
良い人のトレーナーもそういうことに疑問を挟む人がいなくて、一種の独善を押し付けられてる気もすると
私は考えてます。
ポケモンをバトルに出して戦わせて勝つことのみが生きがいのトレーナーたちに限った話ではあると思いますが。

ゲームでそうまで言っちゃうとポケモンを楽しめなくなっちゃいますからね。話半分に^^;
だから、この作品は新しい角度から描くのだと思います。

今現在、漫画を描かれている田村先生はポケモンがとてもお好きな方です。
単行本を読んだり毎週サンデーを見れば分かります。
是非これからも応援させていただきます。

(あと、ごめんなさい。
私純粋なゆとりですからみなさんみたいに難しい具体的な文章表現は使えませんし
見たもの、好きなものをただ良かったかっこいい可愛い好きというレビューしかできません。それでも評価に貢献することは
できますのでいいと思います。表現が選べないので自分でも空気を読まない方だと思います。自分が良いと感じるものを
他の人に否定される言葉も耐えられないんです)

(ポケモンはどれも世界観が基本優しくてレビューしやすいのでポケモンのレビューだけは私
出来るほうです)

(暖簾に腕押しかと思いますがこれに限らず否定する方々に一言
どんな芸術も創作物もそれを描いたり作った方の努力と形にしたい思いが込められています。
だから商品として売られるんです。
仕事として、描けるわけでもない方が、口を挟んだり駄作などで一蹴したり否定すべきものではないと思うんです。賞賛すべきなんです。
漫画家さんは漫画について試行錯誤や切磋琢磨、試練を重ねたりしたんです
描かれた絵は、作品は、それは“存在する”“生まれてきた”ことそのものが美しく、賞味賞賛し意味があるものだと思います。
漫画が大好きな私は大抵は…面白く読めます。もち避けたいのもちょっとはあります…><
でも私には心の余裕があるからこそのこういうコメントです)

(もちろん世界の戦争で使われる兵器が存在することなどの極端論は言いません。
誹謗中傷ばかりの掲示板を見たり、他の人にケチを付けるようなレスをするばかりでは何も見えないこともあると思いますよ。
たかが漫画でのことで死ぬべきはひどいと思います。私の見間違いだったらごめんなさい)



主な批判点

ハリルなんか~当たり前ですが)
  • その通り。人間がポケモンより強いこと自体は、他の作品でも珍しくない。
    • 問題なのは、その強さゆえにポケモンの活躍する場面がないことである。
    • この作品では、人間が活躍しすぎるあまり、ポケモンが単なる背景か舞台装置のように扱われていることが多い。タイトルに『ポケットモンスター』を冠しているのにこんな扱いでは、タイトル詐欺と言われかねない。

昔ならポケモンが力を発揮する以上に人間が越えるのはタブーな感じでしたから
  • 間違い。前述の通り、ポケモンを上回る力を持った人間キャラは、遥か以前から多数存在している。
    • だが、そういったキャラクターが身体能力を生かしてとる行動は、すべて「ポケモンありき」のものである。例としては、善人ならポケモンの保護や救助などにその力を使う、悪人ならポケモンの乱獲に使うといった具合である。

傷ついて痛くて戦うポケモンが~一種の独善を押し付けられてる
  • 確かに、ポケモンを捕まえて戦わせるという行為には、虐待だという声が多いのも事実である。
    • しかし、だからこそ従来のポケモン作品では、人間とポケモンの交流を綿密に描くことで、それらの疑問に対する答えを出そうとしていた。
    • 一方本作では、この巻でリョウガとゼクロムの対面こそ描かれたものの、他のキャラクターに関しては、ポケモンとの交流など皆無と言っていい。『完全なBURST』の設定に初めて言及したキーキャラクターのハリルでさえ、パートナーのゾロアと対話する場面は最後まで描かれなかった。
    • 「人間とポケモンを対等の立場にする」と言っておきながら、ポケモンが出てこず人間が一方的に話しかけるだけでは、それこそ独善の押しつけではないだろうか?

どんな芸術も創作物も~賞味賞賛し意味があるものだと思います。
  • 要約すると、どんな駄作であろうとも、作者は一生懸命だったのだから、出来について批判するべきではないということになる。
    • しかし、この漫画は商業目的の作品であり、読者はみんな自分でお金を出して購読しているのである。作品の出来が支払った対価に見合わないと感じたなら、抗議する権利があるのは当然だろう。レストランで食べた料理が不味かったとしても、料理人は心を込めて作ったのだから文句を言ってはいけないと言うのか?

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最終更新:2014年04月12日 20:52
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