PETRI MF-1


MF-1 銀モデル(写真提供 怪鳥様)銀色の部分も樹脂製。

レンズマウント M42スクリューマウント 自動絞り
シャッター 一軸不回転ダイヤル 横走行ゴム挽き布幕フォーカルプレーン B・1~1/1000
重量・大きさ 132.9x89.5x50mm(ボディ) 450g
価格 ¥45,800(50mmF1.7付)
発売 1976年?月

マウントをそれまでのスピゴット式からM42スクリューマウントに改めるとともに、思い切った小型軽量化を図った意欲的なモデル。
元ペトリカメラの技術者の証言によると3ヶ月という短期間で開発されたものだという。
M42マウントの一眼レフとしてはトップクラスの小型軽量機。ペトリカメラ最後の一眼レフとなった。TTL絞り込み測光で、測光ボタンは回転させることでロックすることができる。露出計は定点合致式。

バリエーションとしては、ボディの仕上げがブラッククローム仕上げのものとシルバークローム仕上げの物が存在
するが、シルバークローム仕上げはめったに見かけない。ブラッククローム仕上げのカバーはアルミ製なのに対し、シルバークローム仕上げの物は樹脂製。
この他、巻戻しクランクが、前期生産型のそれが円筒形なのに対し、後期のものは下半分がすぼまった形状となり、クランクハンドルの幅もやや狭くなるなどの変化がみられる。また、取り外し式のホットシューには、PETRIのロゴが入ったものとそうでないものがある。


後玉の突出量が大きいことで知られるAUTO YASHINON DX50mmf1.7や、ISCO WESTROMAT50mmf1.9も問題なく装着できるなど、M42マウントのボディの中では比較的汎用性が高い方に属する。ただし、マウント面の幅が広く、フジカSTシリーズ開放測光用のレンズは絞り値情報伝達ピンがぶつかり使用不可。


デビュー時点ですでに時代遅れのスペックであったことに加え、倒産直前の社内の混乱のためか、品質は低下気味であり、故障持ちのボディが多い。


FTⅡとの比較。余談だが、両機はスペックにおいては同一であり、ファインダー表示もそっくりである。


小型軽量一眼レフの代表格、ペンタックスMEsuperとの比較。さすがに大きさでは負けるが、驚くべきことに、MF-1(黒)はトップカバー等が金属製にもかかわらず、ボディ重量はMEsuperとほぼ同じである。


Petri Orikkor 50㎜F2を装着したMF-1

ホットシューを外したMF-1

マウント面の広さに留意。

背面にはメモホルダーが付く。

海外ではPROMATICブランドからCOMPACT-Rの商品名で市販されていた。付属レンズはPromatic 50mm F1.7。
写真提供:トプ・ガバチョ様

また、HANIMEXブランドからはCR1000の商品名で市販されていた。付属レンズはHANIMEX AUTOMATIV MC(マルチコーティング)。
写真提供:トプ・ガバチョ様

また、CARENAブランドからはCARENA MicroRSDの商品名で市販されていた。
写真提供:トプ・ガバチョ様

CARENA MicroRSDの取扱説明書にはこの個体と異なる幅広のペンタプリズムカバーを持つものが写されている。
このデザインのカメラが市販されたのか、現時点では判明していない(2016.11.5)。
写真提供:トプ・ガバチョ様

映画会社の日活はNikkatsu NF-1000の商品名で海外で市販していた。
写真提供:OrangeLiu様(Facebook「橙汁光學玩味研究所」のこの投稿にさらに写真があります)

カメラデザイン登録集(日本機械デザインセンター編1981年)には5種類のMF-1の意匠が掲載されている。

※カメラデザイン登録集(日本機械デザインセンター編1981年)より引用。
日本機械デザインセンターが解散済みで、カメラの意匠を登録順に並べただけの書籍であることから著作権はないと判断し掲載しました。

日付が最古のもの。FT1000等と同じPetri 55mm F1.7レンズが装着されている。
J.Baird著のCollectors guide to Kuribayashi-Petri Camerasには、MF-1の発売に先行して1976年にPETRI MFT1000としてリリースされたとの記述があり、
この写真はそのカメラのものかもしれない(「00」の文字がボディ左側面にわずかに見てとれる)。

市販のMF-1と思われる。

ペンタプリズム部の幅が広く、巻き戻しノブ部のトップカバー部分が盛り上がっている。

CARENAのエンブレムとレンズ銘が消されずに残っている。CARENA Micro RSDとは意匠がわずかに異なる。

ペトリカメラ倒産の年に申請されたもの。倒産直前までバイヤーズブランドへのOEMに向けた意匠の変更が行われていたことが伺える。