増渕竜義

増渕竜義(ますぶち たつよし)

  • 背番号22
  • 1988年5月3日生まれ
  • 埼玉県草加市出身
  • 右投右打

  • いわゆる「ハンカチ世代」のひとり。
  • 野球を始めたのは小学校のころ。高校進学の際、多くの強豪私立高校から誘われたが増渕は実家から30キロ離れた久喜市にある鷲宮高へ進学。
    • 本人いわく「公立高校のほうが埼玉らしい」「公立の高校に入って私立の強豪校を倒したい」とのこと。なにこのイケメン。
  • そんな高校時代、1年秋からエースを担うと2年生ですでにストレートは140キロ台をマーク。
  • 3年次はおしくも甲子園には届かなかったが、ノーヒットノーランを達成するなど実力の片鱗を見せた。

  • ドラフトでは東京ヤクルトと埼玉西武が1位指名。結果東京ヤクルトが指名権を獲得し入団した。
    • ちなみに増渕を外した埼玉西武は、同じ埼玉県内の高校にいた木村文紀を指名。お互いライバル意識があった模様。
  • 指名会見では早速乳酸菌を検出乳酸菌検出。目標には五十嵐を挙げた。

  • ルーキーイヤーは一軍キャンプスタートを果たし、いきなり自己最速152km/hをマーク。開幕ローテーション入りを果たすが、3試合に登板して結果は残せず二軍落ち。
  • しかも右肩の故障でしばらくリハビリに時間を費やす羽目に。
  • それでも終盤に復帰後はプロ初勝利をマーク。
    • しかしこの時鈴危険の引退試合、またラミちゃんが右打者として初めてシーズン200本安打を放った試合だったのでマスコミにはほとんど取り上げられず。カワイソス
  • 2008年も開幕ローテーション入り。しかし一軍定着には至らず。
  • 2009年は練習中の事故で一軍での登板がわずか1試合、しかもその試合で滅多打ちにされてしまう。
  • それでも2010年には復活。中継ぎとして開幕一軍を迎える。当初は敗戦処理やロングリリーフとしての役回りを任されていたが、徐々に首脳陣の信頼を得て勝利の方程式に指名される。
  • この年57試合に登板して安定した投球を披露。新たな適性を見つけ出した1年となった。
  • 2011年は先発に再転向し、7勝11敗。規定投球回には届かなかったがローテーションをしっかり担った。
  • 2012年はマロン投手の加入から再び中継ぎに。一時はバカボンの離脱で先発を任されるも、起用法が安定しなかったのが災いしたのか防御率が5点台と跳ね上がってしまった。
  • 2013年は春先に2試合に登板するも不安定な投球に。

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最終更新:2013年07月09日 19:38