田中浩康

田中浩康(たなか ひろやす)

  • 背番号7
  • 1982年5月24日生まれ
  • 京都府木津川市出身
  • 右投右打

  • ファンの皆様、あまりの美しさにうっとりしないで下さい

  • 小学2年から野球を始め、尽誠学園に進学後は甲子園に2度出場した。
  • 早大に進学後は1年時からレギュラーに定着。青木や虎・鳥谷敬などどともに活躍。
  • 4年時にはキャプテンに就任。1年春から4年秋まで全試合出場を果たし「鉄人」と呼ばれる。その体の頑丈さはプロに入った後もチームのケガ人の多さと関係なく生かされている。
  • 大学通算100安打以上を放つなど実績を作り、2004年ドラフト会議でヤクルトに自由獲得枠で入団。

  • ルーキーイヤーの2005年は開幕一軍入りを果たすものの、首脳陣の評価があまり芳しくなかったようで出場機会は少なかった。
  • 5月に登録抹消後は一軍に上がることはなかったが、ファームで打率.286の好成績を残す。
  • 2006年は岩村WBCに参加してケガを負って帰ってきたため2番・セカンドで開幕スタメン入り。しかしこのチャンスを生かせず、岩村の復帰後はラロッカに本来のポジションであるセカンドのレギュラーを奪われ、再び二軍落ち。
  • しかし宮本さんがケガで離脱後、再び一軍に昇格。遊撃手として宮本の穴を埋め、今度はラロッカが離脱すると本職のセカンドへ。
  • この時には完全に一軍に定着し、最終的にプロ初本塁打を含む5本塁打22打点、打率.266の成績を残した。

  • ラロッカが退団した2007年は開幕からセカンドのレギュラーに定着。しばらくはカジーポチさんとの併用が続くが、5月ごろになると不動のレギュラーに。
  • 3年目にして初の規定打席到達を果たし、打率.295、5本塁打51打点の活躍で初タイトルとなるベストナインを受賞。また51犠打はこの年のリーグ最多記録となった。
  • 2008年は序盤好調で4割台をキープ。最終的に夏場に失速はしたものの.290の高打率を記録。しかし盗塁数が4個、成功率が.364と新たな課題を生んだ。
  • 2009年も開幕レギュラー。しばらくは7番を打っていたが後に2番に昇格。この年は打撃不振に苦しみ.258とほろ苦いシーズンに。
  • 2010年は開幕当初から打ちまくり、最終的には打率.300ジャストを記録。また67四球を選ぶなど選球眼の良さも見せつけた。
  • しかし2011年は統一球の影響からか打率を5分ほど落としてしまう(.252)。それでもリーグトップの62犠打を記録し、2番打者としてチームに貢献した。

  • 2012年はプロ入り後初めて1番に指名されるが、ミレッジ比屋根雄平らの台頭で結局2番に戻る。
  • 打撃面は昨年の不振を払拭し、打率は.274と引き上げた。さらにこの年、ゴールデングラブ賞とベストナインを同時に受賞。おめ!
  • しかし2013年ははたらけやまともども不調に陥り、一時は7年ぶりとなる二軍落ちを経験してしまう。
  • 一軍復帰後はセカンドのレギュラーこそ山田に奪われてしまったが、代打の切り札という新境地を切り開いた。

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最終更新:2013年07月08日 19:12