正田樹

正田樹(しょうだ いつき)

  • 背番号61
  • 1981年11月3日生まれ
  • 群馬県太田市出身
  • 左投左打

  • 桐生第一高時代は1学年上に小林正人(中日)、1学年下に一場と大廣翔治(元東北楽天)がいた。
  • 正田の学年では群馬県代表として初の夏の甲子園を優勝を果たし、1999年ドラフト1位で日本ハムに入団。

  • ルーキーイヤーから一軍に登板し、2002年には先発ローテーションに定着し9勝11敗の成績を残して新人王のタイトルを獲得する。
  • このまま順調に日本ハムのエースになるか…と思われた2013年は5勝15敗と大きく負け越し。その後はもともと弱点だった制球難が悪化し、2004年に8勝を挙げた以外は苦戦を強いられることになる。
  • 2007年シーズン開幕前に金澤健人とのトレードで阪神に移籍。しかし阪神では2年間で一軍登板は一回もなく戦力外通告を受ける。

  • その後、トライアウトを受けるも国内球団からオファーはなく、翌2009年に台湾プロ野球・興農ブルズに入団。台湾では2009年、2010年と2年連続で開幕投手を務め2009年には最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得する。
  • 2010年シーズンは高津も加入していたため、高津と同じ試合で投げることも。
  • しかし2010年オフに、経営難によって興農ブルズを退団。その後MLBトライアウトに挑戦し、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。
  • スプリングトレーニングに招待選手として参加するも選手枠が空かずに解雇。2011年4月独立リーグ・北信越BCリーグ新潟アルビレックスBCに入団。奇しくも、昨年に続き高津とプレーすることとなり、新潟を地区優勝に導く好投を見せた。

  • 2012年オフ、東京ヤクルトとの入団が合意。実に4年ぶりの復帰となった。
  • キャンプは一軍に入るも、開幕は二軍スタート。その後6月に初昇格を果たすとビハインドでの登板で好投を見せ、最終的には24試合登板で2.84の好成績を残す。
  • 2013年も二軍スタートだったが、4月上旬に昇格。5月17日の千葉ロッテ戦で畠山の逆転サヨナラ満塁弾で公式戦実に8年ぶりの勝利を挙げる。
  • その後も中継ぎで好投を続けたが、6月下旬に大爆発を起こし速攻sage。その後は二軍で奮闘するが、オフにあえなく戦力外となってしまった。

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最終更新:2013年10月10日 17:52