宮本慎也

宮本慎也(みやもと しんや)

  • 背番号6
  • 1970年1月5日生まれ
  • 大阪府吹田市出身
  • 右投右打

  • 押しも押されぬスワローズの名遊撃手。

  • 野球を始めたのは小学3年生のころ。その後中学校で本格的に内野手に転向し、PL学園に進学。1学年上には元中日の立浪和義、元日本ハム・阪神の片岡篤史らがいた。
  • PL学園を卒業後は同志社大学に進学。関西大学リーグでも活躍を見せプロにも誘われるが、監督の説得で社会人野球のプリンスホテルへ入社。
  • そして1994年ドラフトではヤクルトを逆指名、2巡目で入団した。

  • ルーキーイヤーから一軍に定着。当初は二塁手の守備固めとして出場しつつ、2年目には池山に代わってショートのレギュラーに定着。このころは野手陣の層の厚さで8番に座ることが多く、非力な打撃から当時の野村監督に「自衛隊」と呼ばれていた。
  • 1997年に初タイトルとなるゴールデングラブ賞を受賞。しかしオフに脱税行為をしていたことが発覚、翌1998年は出場停止処分分を受け出遅れてしまう。
    • ちなみに、この時宮本の代役として野口←→城石の交換トレードが成立している。
  • 1999年から2番としての出場が増え、2000年には初めて打率3割をマークするなど打撃も徐々に成長。2002年にはシーズン67犠打の日本記録を更新した。
  • そして1999年から2003年まで5年連続でゴールデングラブ賞も受賞。

  • 2004年シーズンはアテネオリンピック野球日本代表に選出される。当時の長嶋茂雄監督からキャプテンを任ぜられ、予選では二塁手を守るなど負担もかかったが、見事にチームをまとめ上げた。
  • 2005年からは古田の後を引き継いでプロ野球選手会会長に就任する。
  • 2006年は石井岩村青木とともに第1回WBC日本代表に選出。縁の下でチームを支えて初優勝に大きく貢献。
  • 2008年途中に三塁手にコンバート。また、この年に選手会会長を阪神・新井貴浩に禅譲する。
  • 2009年からは本格的に三塁手として起用される。初年度はゴールデングラブ賞こそ受賞したものの二桁失策を記録するなど苦しんだが、時を重ねるごとに慣れていったのか次第に安定感が増していった。
  • 2011年には自身初の月間MVPを受賞。またこの年41歳にして規定打席到達での3割越えを記録する。
  • 2012年5月4日に通算2000本安打を達成。かつてドラフト同期で入団した稲葉とは奇しくも同じ試合数での達成となった。
  • 2013年からは選手兼任コーチとしてプレーしている。

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最終更新:2013年06月29日 16:55