「古今東西の歴史を学ぶと~指導者層~」2012.1.20

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

表題の通り、日本史、特に戦国時代から江戸時代へかけて、
東洋史でも三国時代、西洋史ではローマ時代と学ぶと以下の事を感じる。
勿論、専門家ではないので、読書などによって構築された話なので悪しからず。

そもそも以上の時代、地域を挙げた理由はこうである。

栄枯盛衰を含め、トップまたはその傘下のスタッフに位置するグループ、
並びに後継者選びの時点で目まぐるしく移り変わり、成功事例、失敗事例が山積されているからである。
勿論、運、不運も含めた事例も多く、必ずしも滅びたからといって組織が上手く行ってなかった、
成功事例とはいえ、幸運に恵まれたケースも多いでしょう。

また、個人的な興味を持って、現時点で沢山の書物を読んだり、調べた箇所が
上述の場所であったというのも大きな理由である。
なので、他時代を調べるとまた違う実感を持つかもしれませんが、
この記した瞬間の考えは、以下の通りとなります。


先ずは共和制ローマは「合意形成」のもと、上手く国を保ち、運営されていたと考えられる。
高い意識、共通の認識の下、防備、公共に関する提供、規範や規律の構築など、
長年崩れにくい体制が出来ていたと思われる。
なので、以上の時代はこの論ではさておき。

所謂、帝政ローマの時代に入り、トップが目まぐるしく変わり、元老院体制も揺らぎ、
国家に対し、言い換えれば共同体に対し責任を果たす事が難しくなっていく中、
複雑になっていく社会の中で、全体を見渡し、未来を構築するビジョンを持ち、
防衛、外交、税務、教育・・・
あらゆる分野に理解を高く保つ人物、となると稀にしか登場しないようになっていく。
かつ、後継者選び、国家の中枢面においても、1つの分野でのみ才能を発揮した人物が
抜擢され、トップに登り詰めると、共同体の一部が先鋭化し、傾き出す。

同じく、日本の戦国時代や、中国の三国時代もトップに有能な人物を戴いている時は
共同体(国や藩)は順調に行くが、後継者選び、並びに首脳陣、スタッフに人を得ないと
たちまち共同体が崩壊、ないしは衰退していく。

江戸時代を迎えるにあたり、徳川家康が上手いな、と感じるのは
天下を取るのに軍馬を以って成しえ、以降確かに冷たいと思われるが、
事務官僚を抜擢し、軍功のみを以って国家の運営を任せなかった事。
これが江戸時代を長く保たせた一因だと思います。

同じく、三国時代の魏の曹操も武将と、参謀、事務スタッフのような体制を敷き、
司馬氏に簒奪されたとは言え、国家体制は似たような形で推移。
全てを一手に握っていた蜀の諸葛孔明や呉の孫権のような
後継者育成を難しくさせていた共同体の形とは違ったことが強国の理由だったと思われます。

勿論、一時は全権を持った英雄がその組織を発展させ、強固に構築していく必要があろうとは
思いますが、成長に限界の兆し、もしくは急成長から緩やかな成長期に移行する上で、
上述するような体制に変革していく必要があるのではないかと考えます。


翻って、現代、戦国駅伝と言われる箱根駅伝、ニューイヤー駅伝、高校駅伝でも良いが、
分業体制が定着しつつあると思われる。
監督、コーチ、スカウト、トレーナー・・・
それぞれに専門があり、着実に分業が進み、アスリートに良い環境を提供しつつあると思う。

上述の歴史と絡めて考えると、政務を含めたトップと、方面軍司令官、地方軍司令官、
さらに専門職的参謀や、事務官僚・・・
その首脳陣ともいえる人物を養成、育成する事は非常に難しく、
また抜擢により本来の専門ではないポストにあてた場合の損失は大きい。

監督は監督としての養成、コーチ(の中にも分業はあるが)の養成はコーチとしての養成、
全てを網羅する育成をするならそう、と予め定め、養成せねば、年齢と共に、
ないしは単なる格上げでは歴史から学べているとは言えないだろう。

まとめてみると、歴史を細かく学ぶ。
それは教科書的な通説、定説ではなく、様々な文献(定説と逆説)を学び、
色んな考え方を吸収する。
そして、自分なりの構築をしていく必要があるでしょう。

そして、「指導者層」の育成もそういった学びを得て、
本人、ないしはその人物の特性を見抜いた第三者が責任を持って育成する事で
共同体を保守、発展し得るのではないかと思われます。
そして、それが成しえない場合は、共同体の意に沿う人物を外部から抜擢していく
ことで命脈を保ちえるのではないかと考える。

以上が、歴史を学んで考えた指導者層について感じる事、
そして、現在の専門である駅伝、長距離での監督として考える事です。