三式中戦車

三式中戦車(チヌ)


大日本帝国で量産された最後の中戦車だよ。
四式中戦車とか五式中戦車もあったんだけど、
四式中戦車は量産に至らず、五式中戦車は試作車完成直前に終戦になっちゃいました。

作った経緯としては、M3軽戦車の対抗策に九七式中戦車チハ新砲塔や一式中戦車チヘを作って
よーしなんとかなるでーと思ってたんだけど、アメリカの中の人が
「オウ ダッターラ M4ミドゥータンク モッテクルーワ」なんて感じでM4中戦車を持ち出してきたモンで
日本的にはまーた対抗できなくなっちゃって、しかも対抗できる戦車の完成はまだまだ先になる予定だったので
「しゃーないからとりあえず一式中戦車に強い大砲のっけようぜ」といった感じで作ったシロモノ。
ドイツでIV号戦車を短砲身⇒長砲身にした理由とちょっぴり似てるかも知んない。

まあ、量産されはじめたのが1944年10月だったもんで
その頃には大日本帝国は輸送船を軒並み沈められちゃってたせいもあって
本土決戦用に配備されたので、実戦は経験することなく終戦をむかえちゃいました。

終戦後、ほとんどは連合軍に引き渡されてぶっこわされちゃったけど
色々あって土浦の陸上自衛隊武器学校に一両だけ生き残りがいるよ。
アメリカにもたしか一両のこってたと思うよ。

ちなみに茨城の土浦の陸上自衛隊武器学校にはみんな大好き八九式中戦車も自走できる状態で残ってるよ。
見学無料らしいから、大洗巡礼の折に立ち寄ってみるのもいいんじゃね?
下調べはきちんとね!公式サイトあるからそこ見るといいよ!

そんで、まあ、性能だけど、実戦を経験してないのでスペックから見るしかないんだなこれが。
75mm38口径の威力とか、最大装甲厚をみるなら、なんとかIV号戦車と同程度…と見ておきたいといったところ。
M4シャーマンとも、少なくとも勝負出来る程度にはなったのかなーって感じ。
もっともその頃には、シャーマンよりずっと強いM26パーシングとかが出現していたわけだけども。
総じて、44年当時の他国の戦車に比べて、2年近く遅れている感じだろうか。

とはいえ、当時のもうぼろっぼろの日本の工業力で果たしてスペックどおりに大量生産できてたのかわかんないけどね。
車体が良くても、砲弾の性能とか、燃料の質とか、予備部品とか、中の人の使い勝手とか、スペックで見えない部分はいっぱいあるかんねー。
戦争ってのは数だけでも性能だけでもあかんのです。総合力が大事なんだねーって言うお話。

ちなみに砲塔からアホ毛みたいにひょろっと伸びてるのは、対空機関銃を取り付けるための銃架です。アンテナじゃないよ。

あと特徴として、大砲を撃つときにヒモを引きます。まじで。
九〇式野砲ってのをちょいといじって乗っけたんだけど、
戦車用にきちんと改造してる時間なんて日本にはもう無かったのです。
ガルパン制作陣みたいなもんです。時間は大切。

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最終更新:2012年12月25日 21:51
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