フィアナ騎士団 The Fianna

 

アルド・リー大王に仕えたアイルランドの大軍団。

最後にして最大の指導者フィン・マク・クワールの時代に、軍団の戦力は頂点に達した。

 

入団資格はアーサー王の《円卓の騎士》のそれより厳しかった。

”団員数は150人の隊長のもとにそれぞれ27人の戦士が配属されていた。

フィアナ団員には牛を強奪してはならない、牛と富に関しては誰からの要求も拒んではならない、9人の敵の前でも尻込みしてはならない、という3つの制約が課されていた。

フィアナ騎士団に加わるためには、1族および族長が保証人とならねばならず、たとえ一族全員が殺されるような事があっても、団員はその代償を求めようとしてはならなかった。しかし、団員がたにんに危害を加えた場合は、その報復は一族までは及ばなかった。また、12の詩集を覚えなければならなかった。

さらに、入団志願者は、地面に掘った深い穴に腰まで埋められ、手に盾とハシバミのこん棒を持たされた。そして10畝(ウネ)も離れたところから9人の男が同時に槍を投げつける。もし傷をひとつでも負ったら、フィアナ騎士団にふさわしくないとみなされたのだ。次に志願者は髪を束ねて、アイルランドの森を走り抜けなければならない。それをフィアナ騎士団の一団が追いかけて傷を負わせようとする。出発時の両者の距離はわずか枝一本分の長さだ。もし追いつかれて傷を負わされた場合は加入が認められなかった。

また、走っている時に手に持った槍が震えても、髪が木の枝に触れてほどけても、枯れ枝を足で踏み砕いても、入団資格を失った。

さらに全力で走りながら背丈と同じ高さの棒を飛び越え、ひざの高さに置かれた棒を身をかがめてくぐり抜け、足にささったとげを自分の爪で抜き取らねば、入団できなかった。

以上のことがすべてできて初めて、首領フィンの部下になれたのである。

当時フィンとフィアナ騎士団がうけた報酬は大きなものだった。全ての地区でその1区画、またサワン祭(11月1日 万聖節の前身)からベルテーン祭(5月1日 現在の5月祭)の間に各家で1匹ずつ育てられた子犬、その他多くのものが報酬として与えられた。しかし、彼らの直面する困難と危険は報酬以上に大きかった。海の向こうからやってくる外敵や略奪者、さらにあらゆる害悪からアイルランドを守らねばならず、これはたいへんな難儀であった。”

 

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最終更新:2013年06月01日 23:16