流血少女エピソード-唄子さん-

『正臣18歳、唄子19歳』

「正臣君?」
少し暗くなり始めた路で、唄子さんと会った。
「……こんばんは」
「こんなに遅いの?」
「俺、生徒会長だから……」
「へぇ、凄いね」
高くて明るい唄子さんの声が、妙に大人びて聞こえる理由が、かすかに混じった煙草の匂いのせいじゃない事を、知っていた。俺と一つしか違わないというのに。
「喋らないね」
暗い表情でむっつりと黙って歩く俺に、唄子さんが話しかけてくれた。
「やっぱりさ、私と歩いてるの恥ずかしい?」
こそこそと彼女の顔を盗み見ては直ぐに前に向き直る仕草が、まるできょろきょろ周囲を気にしているように映ったのかもしれない。
「そんな事、あるわけないけど……」
唄子さんの仕事、そして 、街灯がともり始めるこの時間に彼女とこうして道を歩いている事の背徳的な意味を俺は知っている。
俺の鼓動は悔しさと、ときめきのような感情で速くなっていく。ポケットの中で、くしゃくしゃになった紙幣が指に触れた。
(唄子さんは、いつもいくら受け取っているのだろう?)
そんな事を考える自分が、酷くみじめに思えた。
「唄子さん、俺、ハルマゲドンに参加する事になったんだ」
黙っていられなくなった俺の口から、ぽつりとそんな言葉がこぼれた。
「そう……」
その言葉は、そっけなかった。
――頑張ってね
――死なないでね
――お願い、行かないで
どんな言葉を欲しがったのだろう。
――死ぬかもしれないから、その前に一度だけ
――もし、俺が生きて帰れたらその時は
この胸の中のどんな思いを伝えたかったのだろう。
「唄子さん!」
いつの間にか、数歩後ろに離れていた俺に、唄子さんが向き直る。
伝えたい。
「正臣君?」
真っ直ぐに俺を見る、俺と一つしか変わらない彼女が何故あんなに大人に見えるのか。その理由を俺は知っている。
「……その、唄子さんはさ、まだ19歳だから……煙草はやめた方が、いいと、思うんだ」
そんな言葉じゃない。歯がゆさで下を向きそうになる。それでも必死に、彼女の目を見つめようと努力した。
すこしきょとんとしたあと、唄子さんは目を細めて微笑んだ。
「そうね」
唄子さんの笑った顔は、すごくかわいい。
俺は唄子さんが好きだった。


60代夫婦の青春時代の話!甘酸っぱくて好きです

最終更新:2013年07月29日 03:11