流血少女エピソード-一十-






『一十は百合ではない』

 私の名前は一十(にのまえ・くろす)。花も恥らう──────────かどうかはさておき、今が盛りの女子高生である。名前はあまり乙女という感じがしないのは百も承知だけれども、見た目の器量は捨てたものじゃない、と思っている──────────自分で言うな、という批判には耳を塞ぐとして。
 いやいや、それなりの自信にはそれなりの根拠があるもので、これでも幼・小・中と常に告白を受けてきた実績がありますことよ、おほほほほ。
 虚しくなるのでお嬢様ごっこはこの辺にしておこう。下品とまでは自分を卑下しないし、がさつと評される事もない。家族や友人からは「十ちゃんは黙ってお澄まししてれば、お嬢様に見えなくも…………くっ、なんとか頑張れば…………私の想像力よ、熱く燃え上がれっ!」と言われる程である。くそう、お世辞ならもう少しがんばれ。
 改めて私のスペックを記しておこう。主観が入るのは致し方なしとして、出来るだけ客観的に。
 身長。平均よりも高めの166㎝。異性と並んだ際のバランスを考えればこの辺りが程良いだろう。まだ少しだけ残っている成長期が気を利かしてくれれば良いんだけど。
 体重。もちろん秘密。身体測定の数日前や甘いものを食べた後に「ダイエットしなきゃ…………」と呟くと友人に怒られる、まぁその程度だ。ふふん♪
 スタイル。なかなか悪くない。運動部に籍を置く学校生活のおかげで引っ込むべきところは結構引き締まっていると思う。身体の一部はこれ以上大きくなるとデザインの選択の余地や価格面で厳しい事になるので、こちらも身長同様そろそろ空気を読んでほしいところ。
 髪。悪い人ではないんだけど、人間的にはちょっとなぁ、という兄姉と同じ色なのが溜息のつきどころ。姉妹なら髪色が同じなのは当たり前? まぁ、それはそうなんだけど、我が家は少し事情が他のご家庭と異なりますので、はい。
 見た目としてはこんなところかな。いや、本当はもっとこう、見目麗しい美少女って感じなんだけど、そこはそれ、奥ゆかしさという事でどうかひとつ、オネガイシマス。
 性格。性格が良いと言われる。いい性格と言われる方が圧倒的に多いのだけど、その度に発言者のほっぺたをむにむにして発言を優しく訂正してあげているので、比率が逆転するのも時間の問題だろう。小学校の頃から主張し続けているのでそろそろの筈だ。
 前置きが少し長くなってしまったが、これが私、一十という美少女の大体のスペックである。最近、サブリミナル効果という言葉を知ったので、さりげなく積極的に使っていきたい。
 ──────────などと下らない考えを持っている私の暢気な内心とは裏腹に、目撃してしまった場面はシリアスだった。

 時間節約の為に表の並木通りではなく裏の校舎伝いを下校路として選択したのが文字通り裏目となって、本来なら出会う筈もなかったアクシデントに遭遇してしまったのだ。もっと要領の良い近道があるのかもしれなかったけど、転入したての私はそこまで裏道には詳しくない。と、今更悔やんでも後の祭り。
 人目につかない校舎裏。
 優等生とは対極に位置するであろう、風紀に唾した風体の跳ねっ返りの娘さんたち。
 彼女たちに囲まれて半泣きの大人しそうな小動物系の娘さん。
 見たところどちらも一年生、という感じだけれど。
 うーん、分かりやすい。
 いや、ひょっとすると半泣きの娘さんが隠れた悪人で他の娘さんたちのボス、という意外性のあるどんでん返し──────────は使い古されているし、まぁそれはなさそうだ。
 私だって別にわざわざトラブルを探して首を突っ込むつもりはなかったのだけど、地球の裏側で起こった知らない出来事ならともかく、居合わせてしまったからには仕方がない。私はスポーツバッグを背負い直して口を開く。
 「えっと…………」
 「たっ、助けて下さいっ!」
 「ぐはっ!?」
 かっこ良く制止の言葉を掛ける前に、姫君は体勢を低くしたままで私の鳩尾の辺りに突貫してきた。う、うん、このぶちかましは十両入り狙えるね、っていうか、この勢いで逃げれば良かったんじゃ?
 「何だてめーは!?」
 不良少女の一人が柄の悪い言葉を、意外に可愛い声で飛ばしてきた。一生懸命低い声を出そうとしてうまくいってないところが余計に可愛い。
 「ちょ、ちょっと待ってね…………」
 すぐに応じられればかっこいいのだが、生憎先程の一撃がクリーンヒットしたせいでまずは呼吸を整えざるを得ない。はい、ひっひっふー。
 不良少女たちもなまじ声を掛けてしまった為に私の返答を待たずに次の行動に移るのは躊躇われるらしく、きょろきょろと仲間同士で顔を見合わせたりして居心地の悪い思いをしているようだ。何この子たち可愛い。
 すぅ、はぁ、と念の為に深呼吸。うん、問題ないかな。
 「何だてめーは!?」
 それを待っていたかのように──────────実際それを待って、不良少女たちが再度同じ因縁をつけてきた。実に律儀な子たちである。きっと親御さんの躾に違いない。
 「まぁ、名乗る程の者でもないんだけど、通りすがっちゃったからには見過ごせないし…………」
 ぽりぽり、と頭をかきながらあやふやに誤魔化す。真正直に名前を言って後で逆恨みでもされたらかなわない。
 「一十が崇高なる我が名。覚えておくがいい下郎共!」
 「!?」
 慌てて隣を見ると、姫君がふんす、と鼻息を荒らげながら高らかに宣言していた。肩に掛けていたスポーツバッグの名札を見られたようだ。っていうか、助けてあげようとしてるんだから、もうちょっと大人しくしててほしーなー。だめ?
 「イチジュー? が、外人だからってビビらねーぞ! あ、I am a pen!」
 いやいや、今まで普通に日本語で会話してたでしょ、ぺんちゃん(仮)。しかも明らかに英語圏内の人名でもないし。
 なんとなく可哀想になってしまったので、諦めて名乗ってやる事にする。
 「イチジューじゃなくって、にのまえ・くろす。まぁ、私のことは良いとして。見たところ喧嘩ってわけでもなさそうだけど……」
 多対一の喧嘩というのも勿論ないではないが、それにしたってお互いに漂う空気は違う。如何にもな不良少女たちと、大人しそうな(既にその第一印象は崩れつつあるが)少女。喧嘩というには一方的過ぎるし、考えられるのはいじめの類か、或いは優等生が気に入らなくてちょっと締めてやろう、とかそういう類か──────────。
 どんな展開の説明がされるかと思っていたら。
 「そいつが、俺の恋人を盗ったんだよ!」
 「…………えへっ」
 おい。
 「だって、ほしくなったんだもーん」
 人が食べている物が欲しくなる、という心境は誰にも起こり得る。それが恋人関係にも適用される事がある、というのもまぁ分からないでもない。私は経験豊富な美少女恋愛マスターですからね!
 それはともかく。
 「じゃあ貴女が悪いんじゃないの…………」
 「ぎにゃーっ!? ち、違いますよぉー……」
 ぐりぐりぐりぐり、と姫君改め泥棒子猫のこめかみを左右から両の拳で軽く折檻。
 「あっ、なんかこれくせになりそうです……♪」
 「だめだこりゃ…………まるで反省していない…………」
 呆れて力が抜け、解放してやる。
 まぁ、大体の事情は分かった。真面目に取り合うのも馬鹿らしい痴話喧嘩だけど、これも乗りかかった船。仲裁くらいはしておこう。
 「うーん、恋愛話に他人が口を突っ込むのもなんだし、あまりうるさくは言わないけど。多人数で囲むなんてしたら冷静に話し合いも出来ないだろうし、ここはぺんちゃ……もとい、貴女とこっちの子の二人でお話することにして、他の子はちょっと外さない?」
 恋愛関係の揉め事など、大概はどっちもどっち。白黒はっきりつけるのも難しいけど、当事者以外がやいのやいの言えば纏まる話も纏まらないだろう。
 そう考えた私は他の取り巻きの子たちに提案してみたのだが──────────。
 「あの子、あたしの大事な人にも手を出したのよ!」
 「私だって盗られたし!」
 「そうよそうよ!」
 おい。
 私はぎぎぎっ、と年代物の錆びたドアノブのような音を立てながら隣の泥棒子猫改め性悪小悪魔を睨んだ。
 「てへぺろ♪」
 「どう考えても貴女が悪いんじゃないの…………!」
 「にゃーん♪」
 むにむにむにむに、と高速ほっぺたむにむにの刑に処したものの、あまり堪えた様子はない。既に適応しつつある…………。
 っていうか、この性悪小悪魔改め困ったちゃんは言うに及ばず、向こうの不良少女軍団も少なくとも一度は恋人が居た、ってことよね……? 私なんて生まれてこの方、恋人が居た事なんて──────────いやいや、恋愛経験豊富なあたくしでございますから、それはもうとっかえひっかえで…………くっ、何故か目頭が熱くなってきやがったぜ、ちくしょうめ……!
 「ま、まぁ、悪いのはこの子の方みたいだけど、暴力は良くないからね? お互い女の子なんだから…………」
 完全に庇うのは無理としても、何にせようら若き乙女同士で流血沙汰はよろしくない。なんとか平和な方向に話を持って行きたかったのだけど、私の目論見が上手くいくような段階はとっくの昔に過ぎ去ってしまっているようだった。
 「うるっせー! こういうやつには一回痛い目を見せる必要があるんだよっ!」
 きついお灸が必要、という意見に同意するにやぶさかではないけど、ぺんちゃん(仮)の勢いは留まらなかった。元々、弁よりも腕が立つ方なのだろう。痺れを切らして困ったちゃんに殴り掛かって来るものの、もちろん大人しく殴られるような彼女ではない。巧妙に私の背中に隠れるようにしてぺんちゃん(仮)の攻撃を躱しつつ、黄色い悲鳴をきゃあきゃあ上げて逃げ惑っている。
 ちょうど私を中心にぐるぐる廻る、子猫と子猫の追いかけっこ。なんなのこの子たち、仲良しさんなの?
 「くそっ、邪魔すんなーっ!」
 ぼーっとしていると私までとばっちりを受けてしまい、攻撃の矢面に立たされた。これは溜まったものじゃない、と身体を捌いて身を躱す。仮にも武術の嗜みがある私としては、多少喧嘩慣れしている程度の女の子の攻撃くらいは何とでもなる。
 「やれー! そこだー! やっつけちゃえー!」
 いつのまにか要領良く私から離れた諸悪の根源から、実にお気楽なエールが飛ぶ。うん、後でお説教確定だからね?
 ぺんちゃん(仮)だけなら良かったのだが、そうこうしているうちにその様子に業を煮やした他の不良少女たちも加勢してきてしまう。
 「ちょ、ちょっと落ち着きなさい、ね?」
 いくら腕前に開きがあるとはいえ、それでも数は力だ。囲まれてしまうと動き回れる空間には限りがあるし、どうしても死角というものは生まれてしまう。こちらが手出ししないのを良い事に嵩にかかって攻め立ててくる不良少女たちは決して統制が取れている訳ではないものの、意図せぬ多方面からの波状攻撃に私は思わず舌を巻く。
 うーん、さっさと困ったちゃんを抱えて逃げるべきだったか。後悔の念が頭を過るものの、時既に遅し。だからこそ後悔、というのだけど。
 「仕方ないか…………」
 この子たちも決して悪い子ではなさそうなので、出来れば穏便に済ませたかったんだけど、どうやらそうも言っていられないようだ。
 私は意を決すると背後の足手まといをそっと後ろの壁際へ押しやり、大きく息を吸い込んで──────────。
 ひゅう、と風が吹いた。
 一呼吸の間に一迅の旋風と化した影。僅か数メートルの範囲とはいえ、密集した少女たちの間を駆け抜けた疾風。
 私が足を止め、振り返ると同時に。
 それを合図とするかのように。
 支えを失ったマネキンが倒れるように。
 骨を持たない軟体動物のように。
 棒のように林立していた少女たちはくなくなと力を失い、ぺたんと腰を落として地面に座り込んだ。
 武道の達人が行う、いわゆる当身──────────ではない。あれはあれでなかなか難しいもので、しかも結構危ない。とてもじゃないけど嫁入り前の娘さんたちに、デリケートな身体の女の子に使って良いものじゃない。力加減を間違って痣になっても可哀想だし。
 とはいえ、実際の話無力化には成功した訳で、種も仕掛けも必要としない魔法使いならぬこの身は別の手段を使用したという事で──────────まぁ、それが何なのかは言わぬが花、という事でひとつ。
 そんなこんなで荒ぶる少女たちを大人しくさせた私は、落ち着いたところで困ったちゃんにお小言でも言ってやろうと顔を向け──────────。
 「きゃーっ♪ おねえさま、かっこいいです♪ 今のいったいなんですかー!?」
 「ごはぁっ!?」
 がばちょ、とロケットタックルを仕掛けられて腹筋にダメージを受け、またもや苦悶の声が出た。あ、アマレスでもやってみればいい線行くんじゃないかな…………?
 「危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました! あのあの、おねえさまのこと、おねえさまって呼んでいいですか!?」
 いや、もう既に呼んでるからね? などと指摘してもこの子には無駄だろう。何というか、人の話を絶対に聞かないタイプだ。
 「あーもー、とりあえず離れなさい…………」
 この子、前世はひっつき虫かコアラか何かだったんじゃないだろうか。そう思わせるしつこいべったり感に晒され、べりべり、と粘着テープを剥がす音を効果音として採用したくなるような努力の末、どうにか引き離す事に成功する。
 「まぁ、助けてあげたと言えばそうなんだけど、貴女にも問題があったんだから、ちょっとお説教を…………」
 「きゃーっ♪ おねえさまのお説教! きゃーっ♪」
 いやんいやん、と両頬に手を当てて嬉しそうに嫌がる(?)困ったちゃん。うん、完全にご褒美待ちだよね、これ。
 「じゃあじゃあ、私のお部屋に来て下さい! とっておきのお菓子もおいしいお茶もありますし、そこでじっくりゆっくりたっぷりねっとりお説教して下さい♪」
 「なんか妙に言い方がやらしいんだけど…………」
 逆にこちらの貞操が心配だ。思わず私は身を震わせる。
 「そうと決まれば、百合……善は急げです!」
 不穏過ぎる単語が聞こえたような…………。
 戸惑う私の腕に自分の腕をしっかりと絡ませ、困ったちゃんはぐいぐいと強引に私を引っ張ってゆく。
 連行されながら、私は一度だけ残された不良少女たちに目をやる。ぺんちゃん(仮)を始め、皆一様に忘我の表情で呆けているものの、怪我はさせていないので暫くすれば何事も無く我に返るだろう。
 ──────────それ程本気でした訳でもないのだし。
 私は意識を元に戻すと、この困ったちゃんにどう言い聞かせれば自らの行いを反省してもらえるかという事と──────────もし一連の騒動をご覧の方々がいらっしゃれば、声を大にして主張したい内容を頭に思い浮かべていた。

 一十は百合ではない。

 どうか誤解の無きよう、お願い致します──────────。


                                                <了>



最終更新:2013年07月26日 22:05