流血少女エピソード-マスケ・ラ・ヴィータ 言祝-


○ Scene 1.

『旧部室棟の鏡の噂……ですか?』

『そうっス。他にも演劇部の鏡とか三階トイレの鏡とか、色々あるっスけど』

『うーん……』

『真夜中の三時に、鏡に向かって三回、合言葉を唱えるってやつっス』

『言われてみればここ最近……僕もよく聞いていた……ような』

『内容自体は古臭いもんっスけど、広まりかたに恣意を感じないっスか?』

『そう言われると……』




希望崎学園の地下に広がる迷宮の中でだっただろうか。

図書室で、図書委員と古書委員の会合を開いた時だっただろうか。

背景がパレット上の絵の具のように、混じり合って境界の混沌とした世界。




あの日、僕に契機を与えたのは、迷宮探索同好会の先輩だった。

迷宮探索の醍醐味、年季物を好んで探す僕に古書蒐集を勧めた先輩でもある。

だから僕は、その時もただ聴き流さず、話の内容を覚え続けていたんだろう。




『どうも噂の出処があの妃芽薗みたいなもんっスから、危なっかしいスけど』

『妃芽薗……って、少し前に校舎を移転したって』

『噂を確かめようとした奴がその移転前の旧校舎に転送?されたらしいっス』

『……えっと?鏡の噂と?妃芽薗の旧校舎が?どう繋がっているのですか?』

『私も詳しく知りたかったんスけど、ソイツ、最近失踪しちゃったんス』




背景に水滴が落ちる。

世界の色が溶け合い、濁って崩れていく。

視覚と共鳴し、思考も泥が水を吸ったかのようにグズグズと崩れ、覚束ない。




何も見えない世界。

黒いような、茶色いような、濁った色の断片が渦を巻いている。

ただ、声だけが未だ鮮明に響いていた。




『でも、どうして僕にその話を?』

『興味を持つんじゃないかなって思ったんス。実際、持ったみたいっスね』




希望崎学園を卒業した先輩は今、元気にしているだろうか。




『それに、古臭い噂話なんて古物趣味の――にピッタリじゃ――っスか――』




ズキリと、頭を焼く痛みが意識の底から湧き出した。

その痛みが急速に世界の色を、輪郭を纏めていく。

景色が開けた。ぽかんと広い灰色の空間に、白い十字架が並ぶ。並ぶ。並ぶ。




「……寝ちゃってた?」




僕は呟いていた。応える者はいない。開けた景色は、開いた瞼のせいだった。

いつから寝ていたのか、思い出せない。鈍い頭痛もする。

しばらく目をつぶり、じっとする。次第に痛みが遠のき、意識が収束した。




幾度か目を瞬かせた後、身を起こし、手櫛で髪を梳いた。

枕代わりにしていた盛土の欠片がボロボロと髪や髪飾りの隙間から落ちた。

そして立ち上がり、やや小高い立ち位置から、改めて四方へ視線を巡らせる。




十字架。

十字架。

十字架。




十字架。

十字架。

十字架だ。




闇に強い僕の目には、立ち並ぶ十字架がはっきりと見える。

見渡す限りの十字架群。現実感の希薄な景色。だが、この景色は現実だ。

ここは旧妃芽薗学園の地下。巨大な空洞。そして、墓地。僕が今居る場所だ。






















○ Scene 2.

グシャリと可憐な少女の額が砕け、衝撃で眼球が飛び、鼻口から血を垂らす。

少女の服装には見覚えがある。ここに来て、嫌になるほど見てきたものだ。

恐らく少女は妃芽薗の生徒だったのだろう。思う間に、その姿が掻き消えた。




少女はその場に崩折れた訳でもない。木っ端微塵に爆発した訳でもない。

文字通り、音もなく消失した。もう何度も見てきた、ここに巣食う亡霊だ。

今、少女の頭をかち割った愛刀を検分し、血を拭く必要がなくて楽だと思う。




やっと地下から這い出て、地上への階段の出口で、亡霊のお出迎えだった。

生者とも大差ない見た目をしている死者の幻影達だが、もう慣れたものだ。

魔人能力が効かない。騙すモノも居る。そこを把握さえすれば、対処は楽だ。




魔人能力が効かないといえ、僕は元々、強靭な身体で戦闘するタイプだった。

亡霊の類に攻撃が効くか不安もあったが、魔を祓うという刀は流石のものだ。

能力に頼るタイプだった後輩は、それらの情報と引き換えに命を落とした。




『ここは私に任せてください!先輩達は離れてて!巻き込んじゃいます!』




生者のフリをして近づいてくるモノも、気を張っていれば大概は気づける。

幸いにして僕の鼻はよく利くのだ。死者の幻影には生きている臭いがない。

初めから気を張っていれば、安堵の笑顔のままで死んだ後輩を救えたろうか。




『良かった……私達、本当に困っていたんです。抜け道っていうのは……』




考えている間に、レンガ造りの瀟洒な、瀟洒だったろう中庭に着いていた。

洋風のアーチや階段が交差し、広い踊り場にはテラス席。花壇がそれを囲む。

今はその全てが、手入れをする者もなく、ツタや泥汚れにまみれている。




「――今日もいただきます」




それらの景色も感慨深かったが、それよりも先に僕は花壇に手を伸ばした。

きっと花壇の主の趣味だったのだろう。ラズベリーが沢山の実をつけていた。

幸いにも、この広大な閉鎖空間を訪れてこの方、食糧には悩まされていない。




甘酸っぱさを口中に広げながら、これでここに来て何日目だろうかと思う。

汚れを払い、テラス席の一つに座って、食休みをしながら頭を巡らせる。

幸いなことに、今は僕の思考を邪魔する存在もない。時間は山ほどあった。




ここ数年で広まった怪談の正体を知りに、同好会面子で学園跡へ侵入した日。

何日も学園跡を練り歩き、校舎や、寮や、地下に隠された墓地を探索した。

怪しい場所も、自分ならここに秘密を隠すと思う場所も、沢山見てまわった。




そして、どうやっても外へ出られず、死者に襲われ、今やパーティは僕一人。

最初の日から数えてどれくらい経ったのだろう。

指折り数えて、すぐに諦めた。口から諦観の言葉が漏れる。




「何日だったか――もう全然思い出せないや」

「いつも先輩はその辺が適当ですよね。やればできるでしょうに勿体無い」

「あの、でもそれは私が管理しているから、先輩は私のことを信頼して……」




土埃の厚く積もったテーブルの向かいに、慣れ親しんだ顔が二つ並んでいた。

悪趣味な怪談だ。気を張るまでもなく、当然、それらに生者の臭いはない。

握りしめた愛刀を横薙ぎに振りぬくべきか、否か。




一瞬、悩み、決断。

座っていた椅子を蹴飛ばし、僕は全速力でその場を離脱した。

幸い僕の足は二人よりも速い。死者の幻影が追いついてくることはなかった。






















○ Scene 3.

雪だ。初夏の青空に雪が降っている。

学園跡の端に建つ、背の高い監視塔の根本で、僕は足を止めた。

季節外れの雪は青空に透け、はらはらと舞い落ちて地面に白い絨毯を作る。




日差しを反射して、雪の粒がキラキラと輝いている。

その白い新雪には、椿のように真っ赤な血だまりが、いくつも広がっていた。

中でもひときわ大きな雪椿の中心に、陽の光に霞む少女の亡霊が座っていた。




「ああ……また、死神に魅入られた子が一人……」




僕に気付いた少女の亡霊が、哀しそうに呟いた。

距離を取り、不意打ちなど喰らわないよう両手足を硬化させ様子をうかがう。

後輩達から逃れてきたばかりの今、問答無用で攻撃や離脱をする余力もない。




ひら、ひらと、風に乗った粉雪が僕の足元まで届く。

夏の雪。どう考えても霊的な何か、怪談や呪い、そういった類に思える。

怪談とは、そこに住む人々の共通認識によって強化された暗黙の了解の具現。




認識が人々に影響を及ぼし、影響が認識を強める。その果てに――――云々。

以前にどこかで聴いた、怪談や呪いの話の断片が思い出される。

きっとこの雪も、死者の念によって具現した『死者の居るそういう舞台』だ。




「どうか聴いて……私は争いを望まない。白いフードの女の子に気をつけて」




白い舞台の独擅場で、少女の亡霊は語り続けた。

もしかすると、亡霊となった存在とも、話しあうことができるのだろうか。

抜き身の愛刀を構えたまま、僕は白い円形舞台に近づいた。




「君はこの学園の生徒、だった人、ですか?」

「そう……ああ、あなたは私と話をしてくれる……」

「この場所はいったい何なのですか?ここから出られないのですが」

「ここはきっと……呪いの舞台。昔も……今も……」

「呪い……?」

「十束学園と……妃芽薗と……きっと、もっと多くの原因が生み出した……」




少女の亡霊は、多くのことを語ってくれた。

この場所は、呪いによって閉鎖された空間であると。

白いフードの少女が、ここへ召喚された者達を殺しあいへ誘うこと。




ここは、召喚された者が本気で殺しあう事でのみ脱出できる場所である。

怪談で人を誘い、殺しあいで呪いを強め、怨嗟を生み出す装置である。

そして、そんな毒蜘蛛の巣に絡め取られた蝶が、つまり僕達だった。




「あなたのように、ここで生き続ける人達が居る……探索組、と……」




どうか争わないでと少女の亡霊は言った。

争いを避ける者同士で集まって、生き延びてと言った。

きっと、争わずとも助かる道は他にあると、哀しそうに言った。




「ありがとうございます。その人達を探してみます」

「ありがとう……私の話を聴いてくれて……」




僕の感謝の言葉に、少女の亡霊が、とても哀しそうに微笑んだ。

きっとこれまで、この少女はこの場所で多くの人を助けようとしたのだろう。

そして、きっとこれまで、誰も救えなかったのだろうけれど。




「君の名前を教えて頂けますか?きっと覚えておきます」

「マリー……」

「マリー、改めてありがとうございます。君に会えて幸いでした」

「気をつけて……どうか……この子達の分まで……生きて……」




別れぎわ、マリーと名乗った少女の亡霊が、手を差し出した。

その手のひらから、雪の粉がさらさらと零れ落ちた。

そよ風が吹き、僕の手に粉雪が一つ、乗った。




ひやりとして、しかし溶けないその白は、雪ではなかった。骨の破片だった。

きっとこの場で死んだ、或いはマリーの友人だろうか、沢山の少女達の、骨。

未だ生き続ける人の痕跡を探しに歩きだした僕の手から、零れて、消えた。




「――ありがとうございました。ブラッディ・マリー」






















○ Scene 4.

白フードの少女、通称『案内人』との遭遇を、探索組は『死刑宣告』と呼ぶ。

その場の酸鼻極まる光景は、まさに死刑宣告後の状況と呼ぶべきものだった。

千切れた腕や、骨、内蔵、刻まれた少女や焼け焦げた少女が転がっている。




関東を襲った地震や台風などの連続災害に特に晒され、半壊した校舎の一つ。

うず高い瓦礫に、どす黒い血飛沫や、剥がれた皮膚がこびりついている。

崩れた壁。崩れた天井。埃が漂い、外の日差しが光の筋を躍らせる廃墟内。




かつては生徒達が勉強していたろう机や椅子が無惨に転がる教室。

休み時間に談笑しながら少女達が歩いていたろう長く広い廊下。

それらに、破壊と、さらに血なまぐさい戦闘の痕跡を重ねて塗りたくる。




「――いた。やっぱり、殺されていた……」




雰囲気に当てられ、すっかり光景に呑まれていた僕を呼ぶ声が聞こえた。

意識を戻し、目を向ければ、乾いた血でカチカチに固まった、身体のない首。

その首を寂しそうに、大事に抱える、探索組の仲間が居た。




「こんな殺しあい、早くなくなればいいのに……」

「……そうですね」




僕達は失った仲間を確認すると、早々に戦場の跡を立ち去った。

壊れた校舎を抜けて、寝床にしている、災害被害の少なかった校舎へ向かう。

移動中、僕達の間に会話はなかった。




僕が探索組を見つけ、その仲間になってから数日が経っていた。

仲間達以外にも、この広大な学園跡に生き続ける者はいくらか居るらしい。

時々、他の生存者達とも交流をするという仲間達は、僕を快く迎えいれた。




「駄目だった……」

「うん……せめて、生きて脱出してくれていたら良かった……のに」




仲間達と、寝床にしている茶道部室で身を寄せあい、置かれた首を見る。

パタ、パタと、横から、涙が畳を弾く音がした。

僕以外の仲間達は、長く付き合ってきた友人だったと聞いている。




そんな仲間の一人が、逃げ続けてきた『案内人』に『死刑宣告』を受けた。

この場所から脱出する、現状、唯一の方法。『案内人』の気まぐれか。

ここに召喚された者達を幾人か集め、二陣営に分け、殺しあいをさせる。




生き延びた陣営だけが、外界へ帰ることができる。

もしも戦闘から逃げれば、同陣営の者達の脱出の機会を奪うことになる。

だから『死刑宣告』を受けて逃げた者は、皆から粛清される。まさに呪いだ。




だから、これまで争いを避けてきた彼女は、仲間達の前から、姿を消した。

もしも自分が争いを避ければ、仲間達と一緒に居れば、迷惑をかけるから。

そして、死んだ。




「僕は、出かけてきますね。いつもの場所です。すぐに戻りますので」




古い友人を悼むのに、僕は邪魔だろうと思った。

扉を閉めた部室から、少女達の泣き声が漏れ聞こえた。

僕は部室を出て、校舎を出て、そのままいつかの中庭に向かう。




レンガ造りのアーチ。雑草の伸びた花壇。テラス席。

ここ最近、僕は毎日ここへ足を運んでいた。

マリーと話ができたのだから。もしかしたら、後輩達とも、また。




しかし、今日も、あの日のように後輩達が顔を出すことはなかった。

しばらくテラス席に座り、空を眺め、日が傾く前に帰る。

ここ最近の、僕の日課になっていた。




ただ今日は、いつもと違って、帰っても出迎えてくれる仲間達は居なかった。

扉を開けると、血塗れの首を一緒に抱え、寄り添い死んでいる仲間達が居た。

畳に広がる血だまりと、彼女らの握った刃を見やり、僕はそっと扉を閉めた。






















○ Scene 5.

「先輩、お久しぶりです!」

「あ……先輩!」




通り雨もあがった、白い雲がまばゆい夏の晴空の下。

よく知る二つの顔が、僕をテラス席で迎えてくれた。

もう死んでしまった二人の後輩。とうとう、再び、会うことができた。




僕一人で探索を続けるようになって幾日か。

他の探索組と会うこともなく、会おうという気にもなれず幾日か。

最後の拠り所のように、ここへ通い続けて、そして、とうとう出会えた。




僕は、ゆっくりと二人が座るテーブル席に近づき、座った。

二人はにこやかな笑顔で、僕をテーブルへ招き入れた。

死んでしまった今でも、僕のことを変わらず扱ってくれるかと、そう思った。




空は青い。風も穏やかな日。今、僕達はしっかりと向かいあって座っていた。

突如逃げることもなく、彼女らが生きていた時のように。

テーブルを囲み、三人で。僕は彼女らの死に顔を、見る。




「じゃあ先輩!早速ですけど、死んでください!」




直後、後輩の一人がにこやかに言った。

僕はその顔を見つめる。聞き間違えでは、ない。

彼女は生者の臭いのしない身体で、僕へ手をかざしてきた。




彼女の生前の魔人能力は、爆破。とても単純で、とても強力な範囲攻撃。

花火が好きで、なんでも花火のように爆発すればと思って魔人になったとか。

あの弾けるように明るくて、よく懐いてくれた彼女が、今は、これか。




「……どうして?」

「憎いんです!先輩だけ生き延びていて、ずるいじゃないですか!」

「君は、冒険に出る時はいつも死ぬ覚悟はできていたと、思っていたけれど」

「わからないです!死んだら、とにかく全部憎くて憎くて仕方ないんです!」




僕は愛刀を強く握りしめた。彼女の腕が僕に届く前に、彼女を切ろう。

きっと――――できる。決断さえすれば。

だが、僕の決断より先に、彼女の頭が原型もなく、横薙ぎに潰されていた。




「ごめんなさい……でも、先輩は殺させない……本当に、ごめんなさい」




事態に、横でずっと硬直していたもう一人の後輩がその腕を振るったのだ。

容赦なく振るわれたその腕が、彼女の友人の頭を叩き潰していた。

生前、二人仲良く過ごしていたのをよく覚えていた。そんな彼女が。




「先輩、大丈夫でしたか?……ごめんなさい。この子、死んで、こんな風に」




彼女が座り直し、僕を見返す。荷物持ちと雑務を頑張ってくれていた彼女。

とても大人しい性格と外見で、それに似合わず怪力が自慢だった彼女。

そして、後輩の中で一番、僕を慕ってくれていた彼女。そんな彼女が。




「君は……死んで、変わらなかったの?」

「私は、先輩のこと、ちゃんとわかります。今でも、ちゃんと……」

「僕は、もしも死んだ君達と、また一緒に過ごせたらと、そう思っていた」

「ほ、本当ですか!私……先輩にそう言われると、嬉しい……!」




彼女が嬉しそうに、本当に嬉しそうに、懐かしい照れ笑いを僕へと見せた。

我慢できないとでも言うように、彼女は椅子をガタリと鳴らして立ち上がる。

そして、僕の横へと並び、スッと身を寄せた。ひやりと、冷気が頬を撫でた。




「先輩……それじゃあ、死んでください。私と一緒に……ずっと、ここで」




彼女の右手が、僕の愛刀を握り、その動きを封じていた。

僕も腕力には自信があるが、彼女もまた、そうなのだ。刀は動かない。

その隙に、彼女は残った左手を、僕の首へと伸ばしていた。




「ずっと一緒に、ここで暮らしましょう……先輩」

「……ごめん、わかっていた」

「……え……」

「君は、友達の頭を平気で潰せるような子では、なかったから」

「……先……輩……」




僕の右手が、右手に握られた短刀が、その時すでに彼女の胸を貫いていた。

彼女は苦悶と、それ以上に哀しげな表情を浮かべ、そのまま消えた。

切れ味の代償に不幸を呼ぶ刀。僕の最終手段。後輩の前で抜くのは初だった。




「何かあった時に……巻き込みたくなかったから。まさか、こうなるなんて」






















○ Interlude(幕間)

『――イタリア土産の仮面?』

『はい!呪術に耐性があるって聞きましたし、探索に着けていこうかと』

『そう。気をつけてね』




鏡に向かい、仮面を着けた自分の顔をよく眺める。

綺麗で立派な羽飾りがフサフサと、色の薄い僕の髪を飾っている。

右を向いて左を向いて、思わず零れた笑みも仮面に隠れて怪しげな雰囲気だ。




『服装はどうするの?』

『うーん……やっぱりこのままじゃ可怪しいですか?』

『――目を引く組みあわせではあるわね』




出発前の装備点検兼おめかしの時間。冒険の醍醐味。僕はご機嫌で返答した。

僕の格好は丁度その時、小袖に袴という女学生のようなものだった。

純和風の服に、異国情緒溢れる仮面――――どうだろう?




いつもお世話になっている、僕の『英雄』に手伝ってもらい、着替えてみた。

王道に舞踏会用のドレス。ミスマッチを極めてタイトなダークグレースーツ。

または都市用迷彩。動きやすさ重視の短パン・ランニングシャツにジャージ。




『貴方が危ない目に遭うと哀しむ人がいるわ。充分に準備していって』

『はいっ!』

『貴方はいつも運が悪いから』

『だ、大丈夫ですよ!』




どれが一番似合うだろうかと、あれやこれやと着替えながらのやりとり。

穏やかに流れる時間の中で、あの時、本気で、大丈夫だと思っていた。

やがて、全ての準備を終えて、出発の段になり。




『せんぱーい!先輩!私達の準備は万端ですよ!早く出発しましょう!』

『あ、先輩……その格好……えっと、す、素敵ですね!』

『おまたせ。――うん、ありがとう。――それでは、行ってきます!』




笑顔の後輩達に挟まれて。目に痛いくらい眩しい笑顔を交わしあって。

そして見送るあの人に、僕は力強く手を振った。

だって、僕はあの時、本当に大丈夫だと思っていたのだから。




――――だって、僕は本当に……。




それから僕達は監視の目を潜り、この閉鎖された妃芽薗学園跡に侵入した。

広大な敷地を練り歩き、沢山の場所を見てまわった。

落とし穴に落ちて地下の墓地へ着いたり、亡霊の群れに出会ったり。




後輩が死んだ。一緒に探索へ同道した二人とも死んだ。

新しい仲間と出会った。出会った皆、死んでいった。

死んだ皆を、殺していった。死者が生者を憎むこの場所の定めだろう。




ズキリと、僕の心が焼けつくように疼く。

もう充分だろう。これ以上、ここに居る必要はないだろう。

マリーには悪いけれど、僕は決心しなければならない。




もう、ここに居て得られる怪談の情報もない。知れることは全て知った。

もう、ここに留まる理由はない。脱出の術は知っているのだから。

もう、ここに残る必要もない。ここに居るのは――――僕一人なのだから。




「だから、僕は決めたよ。僕の迷宮探索に、そろそろ決着をつけようって」






















○ Last Scene

『案内人』に会って、殺しあいに参加しよう。そしてここから脱出する。

僕は、闇の中にまっすぐ続く、深夜の廊下を歩いていた。

目的地は、この先の階段。踊り場にある、壁一面の大きな鏡。




人の居ない夜の校舎は、それだけで迷宮の中に迷い込んでいるようだ。

靴音ばかりが反響する四角く細長い空間を、まっすぐに、淀まずに僕は歩く。

踊り場にはすぐに着いた。薄暗闇の中で、僕の姿が鏡の世界に浮いていた。




僕が知る限り、この学園跡でもっとも大きな鏡がこれだ。僕は、うなづいた。

殺しあいに参加しようと決意して、僕が迷わず目指した場所がここだった。

『案内人』を見つける方法は、それこそ最初の最初から知っていた。




僕が、僕と後輩達がこの場所へ来る原因となった噂。

世間に広まる怪談。あれが張り巡らされた蜘蛛の巣だというのなら。

僕は、その糸を辿って、この地獄を脱出する。




『旧部室棟の鏡の噂……ですか?』

『そうっス。他にも演劇部の鏡とか三階トイレの鏡とか、色々あるっスけど』




かつて先輩とした噂話が脳裏に蘇る。

あれが、始まりだった。

あれから、めまいがするくらい、色々なことがあった。




逃げ延びるためのことをやれるだけやって。

生き延びるためのことをやれるだけやって。

ここまで僕は来た。僕にとって、ここが迷宮の最奥だ。




僕は鏡に目を向ける。

まっすぐ見据え、背を伸ばす。

そして、はっきり三度、唄いあげた。




「まどか様、まどか様、おいでください」

「まどか様、まどか様、おいでください」

「まどか様、まどか様、おいでください」




ここが呪いの源ならば、ここが怪談の舞台ならば。

鏡面が揺れる。鏡の世界に浮かぶ僕の背後に、白いフードが滲み出した。

――――これこそが、終演開幕の合言葉だ。




真夜中の三時に、鏡に向かって三回、合言葉を唱えると姿をあらわす少女。

僕は振り返り、そこに立つ、鏡像ではない少女の姿を見た。

フードの奥から、鋭い視線が僕を射る。『案内人』――――少し、感慨深い。




僕と『案内人』の視線が交錯する。さあ、往こう。覚悟はとうにできている。

僕の探索の最終章を綴る、少女の姿をした死神。けれど僕は恐れない。

少女の口が、終幕の前口上を述べる。そして僕は、それにうなづいてみせた。




少女は何を思うのかわからない。だが、僕は僕の思うことができれば充分だ。

少女の目的がなんだろうと、僕はもう、ここを脱出する最後の切札を切った。

少女は、僕に殺しあいへの道筋を示した。だから、迷いなく、僕は応えた。






















――――ここで殺し合ってください――――

――――今となっては望むところだ――――






















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ダンゲロス流血少女Ⅲ




-Wail of Valkyrie-




――開幕――










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――――こうして、僕は、死神と契約を交わした。これで、終わりだ。

長かったけれど、これで、今回の僕の探索は終了だ。後は、一戦。

消えていく死神の背中を見送りながら、失った人達のことを思い出していた。










「あは」










喉が震えた。

僕は、肩を震わせていた。

気づいたら、僕は、溜まりに溜まった思いを、溢れさせていた。




「あはは」

「あはははは」

「あははははははははは――」




僕は笑った。笑うしかなかった。ズキズキと頭が、胸が痛む。

僕の笑い声が、巨大な影の塊となっている深夜の校舎に残響した。

だって――――笑うしかないだろう。




厳しい道中。恐ろしい敵。数々の罠。脱出不能の迷宮。

道半ばで死んだ後輩達。死してなお生者を想う亡霊。心折れて死んだ仲間達。

それら全てを越えて、最後の最後に、殺しあい。




こんな、こんな事。

こんなにまで完璧な、こんな冒険譚が他にあるだろうか。

全ての艱難辛苦を乗り越えて、最後に待ち受けるのがラスト・バトルだ。




「だから僕は大丈夫だって言ったんですよ。だって僕はこんなに――」




僕の迷宮探索は、今回、最高のクライマックスを迎えられる。

さあ、往こう。数々の障害の奥に待ち構える、迷宮のボスを倒しに。

僕は勇者となって凱旋するだろう。僕の冒険を求める心が疼き、全身を焼く。










ああ――――










やっぱり僕は、本当に――――










運が良い。










<了>


流血少女の雰囲気や設定に沿った切ないSS!
どこか綺麗な印象を受けますね。素敵!

最終更新:2013年07月29日 03:21