流血少女エピソード-股ノ富士ちゃん-







■エピソード1





股盛山部屋(またもりやまべや)。

関取を数多く送り出し、今や角界を最前線で牽引する相撲部屋である。




部屋の主である股盛山親方(またもりやま・おやかた)は現役時代、

「無双」と称された名横綱。既存の決まり手に縛られない多彩な技は

オリジナリティに溢れ、その奥義は弟子たちにも継承されている。

彼の稽古場の壁には、厳粛な筆文字でこんな言葉が掲げられていた。




――「Do your own SUMOU.(自分の相撲を取れ)」




技の意外性とオリジナリティを追求した股盛山親方らしい言葉であり、

またグローバリゼーションの波に乗ったイノベーションを感じられる

先進的な訓示といえるだろう。これが股盛山門下、最大の理念である。




代表的な所属力士は大関である「股ノ海(またのうみ)」。

巴投げ、百烈脚、サマーソルトキックなど多数の技を習得しており、

実力も確かながらその「魅せる相撲」でファンも多く、近年では

タレント活動も行う。料理コンテストの審査員なども務めたそうだ。




そしてここに、そんな股ノ海を追い続ける若き獣がひとり。

「股ノ富士(またのふじ)」。スピード昇進で現在小結の力士だ。

彼にとって股ノ海は憧れであり、いつか越えねばならぬ壁だった。

土俵上での先輩の強さは本物であり、直接対決で未だ彼に勝ちはない。




いずれ、股ノ海と優勝争いを演じてみたい。それは彼の志願のひとつ

だったが――ある年の初場所で、その願いは手の届く物となる。




* *





両国・国技館。

国営放送の実直なアナウンサーが、熱をもって状況を伝えている。




「大相撲初場所、十二日目。優勝争いは一敗の三人に絞られました。

横綱、腰錦(こしにしき)。大関、股ノ海。そして――

なんと小結から食い込んできました、股ノ富士です。楽しみですね。




なお本日の解説は、元序二段の掘門山(ほるもんやま)親方に

お願いしております。親方、よろしくお願いします」

「うん、よろしく」




「そして本日の番付表ですが……一敗同士、ついに股ノ富士が

横綱腰錦への挑戦となりました。どちらかが優勝争いから後退と

なります。股ノ富士としては苦しい展開ですが、どう思われますか」

「股ノ富士は、二の腕が良いんだよな」




「対する腰錦は万全の相撲で挑戦を退けられるか、注目です」

「腰錦の美尻は全力士でも上位に入るよね」




* *





「見合って、見合ってえ!」

行司が軍配を構え、目を光らせる。無慈悲なる裁定者の精悍な眼光に、

正面の客は「まぶしっ」と目を逸らした。




そして、行司を挟んで対峙する二人の格闘者。

東に腰錦、西に股ノ富士。

まだ組み合う前だというのに両者の肉体は震え、僅かに膨張している

ようにすら感じられた。筋肉が呼吸し、力を漲らせる。湯気が立つ。




「手ぇを着いてぇぇ!!」

行司が、喘ぐような高音で命じた。気迫!

国営放送のアナウンサーは顔を赤らめた。解説者は土俵上の尻に注目した。

そして向かい合った対戦者は腰を落とし、立ち会いの構えをとった。

視線が交錯する。




「立ち会い」の瞬間は、力士の戦いにおいて最も重要な要素である。

最初の立ち回りで作戦勝ち、作戦負けが決まり戦況の優劣がつく。

二人は目を合わせたこの一瞬に、イメージの中で数百回の相撲をとった。




――やがて、両者ともに試合運びのイメージが固まった時。

互いの呼吸が聞こえる。リズムが近づき、離れ……交わる。

二人はまったく同時に、脳内に告げられた声を聴いた。




《ハッケヨイ――――ノコッタ》




土俵をそれぞれの拳が叩き、戦士は爆発したように前へ出る!




腰錦は直線的突進。対する股ノ富士は一瞬足を止め、両手を構える。

――【獅子騙し】!!

彼の誇る初手最強の奥義、やはり股ノ富士はそれを選択し、しかし、




腰錦は、目を閉じている!

正気であろうか!? 格下とはいえ熟練の力士。視覚を失っては何を

されるかわかったものではない。それでも腰錦は目を閉じたのだ。




これでは【獅子騙し】は十分な効果を発揮できず、股ノ富士は自らの

立会いの勢いを殺しただけで終わる。腰錦の突進は止まらない。

立ち会い有利は腰錦か! 両者の肉体が今にも衝突せんとする。




瞬間、股ノ富士の身体が大きく横にブレ、見事な体捌きで突進をかわした。




腰錦は目を開き、一瞬遅れてそれに気がついた。愕然とした。

目を閉じることを、読まれていたのだ。その隙を突かれた。

今の腰錦は、完全に股ノ富士に背後を取られている。




このまま背中を押され、なす術なく土俵の外へ送り出されるか?

――いや! そこで終わっては横綱ではない! 歯を食いしばる。

腰錦には、この状況から繰り出せる技が、ひとつだけあった。




脚に力を篭める。そして大きく、土俵を蹴る。彼の体は浮いた。

そのまま砲弾のごとく股ノ富士に迫る。これこそが横綱、腰錦の切り札。

『キャノンボール・ヒップアタック』!!




「腰錦に死角なし」という言葉がある――彼に戦えない角度はない。

背後すら、技の射程圏内だという事である。

重量150キロをこえる力士のヒップアタック。まともに受ければ

股ノ富士といえど、土俵上の血のシミと化してしまうだろう。




ここまでの展開は……股ノ富士の読みの通りであった。

まともに組み合っては勝ちはない。ならば背後を取り、大技を出させ、

そこからの一発逆転に賭ける。しかしこの技を流せるか?

それは挑戦してみないと、わからなかった。やるしかない。




股ノ富士は己の動体視力に全神経を傾けた。時が鈍化する。

迫る尻が見える。そして尻の割れ目を分かつ、マワシ。

力士にとって相手のマワシは――掴むものである!




股ノ富士はマワシを取った。止まらない尻。マワシに力を加える。

横にいなす。衝突を回避する。そのまま、土俵へ腰錦を投げ打とうと

腕を振る。しかし股ノ富士の体も引っぱられる勢いだ。

彼もバランスを崩し、体が傾いた。なんたるヒップアタックの推進力!




両者は倒れ込むように、土俵上へ伏せた。

時が止まる。




そして行司が軍配をかかげ、勝者の方角を指し示す――。西!

一瞬遅れて、客席から「ドワッ」と歓声が上がった。番狂わせだ!

ザブトンが乱れ飛び、場内を埋め尽くす。




実況席も興奮に包まれていた。

「軍配は股ノ富士ーーーーー! 横綱の渾身の尻技、及ばずーーー!」

「横綱は美尻に磨きをかけていただけに、残念です」




こうして優勝争いには、股ノ海と股ノ富士、同門の両名が残った。

二日後に発表された千秋楽の対戦表では、もちろん二人の対決が組まれた。

相撲ファンは沸きあがり、興奮とともにその取組みを待った。

そしてもちろん、兄弟子との優勝争いを熱望していた股ノ富士にとっても、

特別な戦いとなったのである――




* *





対決前夜。

相撲部屋の食堂にて、股ノ富士は股ノ海と語らっていた。




「なあ、富士よ」

「ウス」

「私は――今まで、自分のことばかりだったかもしれん。自らの技を磨き

高めることしか頭になかった。もちろん、力士としてはそれで良いのかも

しれないが……。お前はどうだ?」




「ウス。自分は――無論、自らを鍛えるのを怠った事はありません。

しかし、しかし。自分の中には、常に貴方の背中がありました。

これは邪念でしょうか」

「邪念、か。昔の私なら、そう言ってお前を諌めたかもしれないな。だが」

「?」




「今はわかるよ。今は私の中にも、お前の姿はある」

「…………!」

「嬉しいんだ。同じ釜のメシ食った後輩が、私の背中を掴もうとしている」

「ま、股ノ海……先輩……!」




股ノ富士は涙を流した。




「明日は、全力でぶつかってこい。この股ノ海すべての技をもって、

お前を土俵に沈めてみせる」

「ハイ、自分も……自分もです。今までの恩すべてをぶつけてみせます」

「フ、言うようになったな」




夜空に、彼らの絆を称えるかのように、星がまたたいた。




* *





――而して、翌朝。運命の千秋楽。

股の富士は、股の富士ちゃんになっていた。




その股は、富士どころではない。むしろ富士のほとりの窪み、

さしずめ河口湖といったところであろうか。




「え、えええええええええええ」




冬の日に股盛山部屋を襲った悲劇であった。

相撲部屋に似つかわしくない、くりくりとした悲鳴が響いた。




「ええええええええええええっ」



ひ、悲劇だ!股の富士さんせっかくチャンスを掴めたのに!
読んでるこっちまで悲鳴あげたくなりました。

最終更新:2013年07月29日 03:14