ナチス・ドイツの戦車について

1)一号戦車・・・訓練用とは、こういうものさ
2)三号戦車・・・理論から生まれた戦車群。はたして、ドイツ参謀本部の計画はいかに
3)四号戦車・・・支援戦車が主力戦車へ、そして?
4)二号戦車・・・当時の現実を表す軽戦車
5)六号戦車・・・恐慌が生み出した中途半端な怪物
6)五号戦車・・・急造だが理想的戦車、そして現実という名のとてつもない壁
7)六号戦車(2)・・・最強とは何か? 自問自答の果てに
8)35.38(t)・・・箱を開けたら、宝があった

1)一号戦車は、戦車と呼ぶには小さすぎた。というのは、少し失礼であろう。様々な制限の上に作られた第一次世界大戦において生み出された産物である戦車から比較すると、洗練されているといっても過言ではない。だが、いかんせん、大きさも発動機ぎりぎりの性能で作りすぎたことが仇となり、発展性のないものとなってしまった特に初期の物(A型)は駆動力があまりに非力で、その後の自走砲化などにいたっても問題を抱えている。このような問題を持つ一号戦車だが、私は一号戦車の車台にチェコ製の4.7cm砲を積んだ対戦車自走砲が大好きなのである。そしてもうひとつ、指揮戦車も大好きだ!
2)そして、中核となる三号戦車と支援に廻る四号戦車の設計が始まるが、遅々として進まない。理想的な兵器というのがいかに困難か。そしてそれが完成していたときには、すでに陳腐化が始まっていたという悲劇的な兵器が三号戦車である。私は、このドイツの技術と理論の結晶である悲劇の傑作戦車をじっくりと考えてみたい。
4)遅々として進まない三号・四号に対して、現実的な技術の上に作られた兵器として短期間で生み出された兵器が二号戦車である。二号戦車の車台が多くの自走砲の車台になったことを考えると、この戦車が作られたことが当時のドイツ軍にとってどれほど重要であったかが分かる。この考察から考えると、当時の機甲師団の首脳部がこの戦車を主力戦車として運営しようとしたことも無理からぬところとなる。つまり、第二次世界大戦とは、二号戦車と38(t)を事実上の主力戦車として戦争を始めたということになる。
5)当時のドイツ以外の設計思想がドイツの戦術による戦車戦の勝利を確定的にしなかったのが歩兵戦車・重戦車という圧倒的な装甲を持つ戦車の存在であった。歩兵戦車・重戦車の装甲を打ち破る兵器を持ちえなかったドイツ軍は最強の対戦車砲を搭載する重戦車を生み出す。だが、急造ゆえの問題が散見する戦車である。だが、一時的には伝説に値する世界最強の戦車であった。その命脈は短かったのだが。
6)主力戦車として開発された三号戦車が時代遅れになり、それに替わるべく作られた新鋭戦車。だが、あまりにも急造したゆえに初期には解決されない問題を抱えたまま戦場に投入され散々な初陣となる。中戦車としてはあまりにも重く、攻撃力を重視しすぎたバランスに欠ける兵器であったが、生産性は考慮されており、決戦兵器としては及第点に近い名戦車である。あとすこしの余裕があれば。当時の主力戦車としては間違いなく決定的な戦力であったといえる。
7)恐竜的進化の果てに生まれた怪物である。戦場では敵無しの存在であり、環境が許す限りにおいては最強の名を欲しいままにしたであろう。
8)これらのチェコ戦車がなかったらどうなっていたか? というifがあるほどの優秀な戦車群。これらとそれを元にした自走砲がどれだけの働きをしたかを考えれば、チェコ併合がどれほどの影響を与えたかは語るまでもない。安定した性能を示した車台とその改良品は自走砲の車台として多くの作品が生まれたことでも証明されている。

それにしても、製造が禁止されていた国が、十余年の間に恐竜のような戦車を作るまでになるのだから、工業力のある国と実戦というものはかくも恐ろしいものなのか、と関心することしきりである。

戦車を製造するにあたっては様々な制約が存在する。
1)大きさ…鉄道輸送を考えれると自ずと横幅が制限される。
2)重さ…橋梁の制約によって重量が制限される。
3)発動機…発動機の能力によって自ずと重量とその元になる装甲厚が制限される。
これらは切実であり、恐慌的な製造である六号戦車が輸送時に履帯をあえて交換していたなどという掟破りを行っているころからも重大な問題であることが分かる。
最終更新:2013年01月15日 12:09