——真夜中、川沿いの土手にて——

ジャージのポケットに入れた音楽プレーヤーの曲順は遂に3周目をむかえた。

3時間前にも流れた最初の曲、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」の「家路」が落胆する懐かしさと共にイヤホンから響く。

実家近辺の防災チャイム音にも使われているこの曲は、今すぐ家へと帰りたい気持ちにさせた。

追い討ちをかけるように、夏なのに冷たい向かい風が吹き付け、身体の節々が軋む。

俺はとても後悔していた。

家からこの土手を走り始めて約6時間半、距離にして40キロを超えているだろう。
ついに内臓は限界に達しエネルギー切れ、喉は渇き切り、震える足は腫れて腱鞘炎を起こしていた。
Tシャツとジャージの2枚しか着ていないため、寒くて歯がガチガチと音を立てる。

やっぱり、無理して走るべきじゃなかったな……。

今日はとにかく、走って遠くのどこかへ行きたかった。

大学を卒業した後のどうでもいい将来のこと、家のこと、人間関係のこと、嫌なこと全てから逃げ出したかった。

そして気がつくと、今はもう歩くことしか出来ない。

俺「怖い…痛い…怖い…寒い…」

後ろを気にして振り返りながら、来た道を歩いていく。1円も持ってきていないので、電車にも乗れない。音楽プレーヤーを売って金を得るわけにもいかない。売る場所もない。

周囲は電灯も無く、真っ暗。夜の土手は本当に怖い。誰かが背後から迫っているような気がして背筋が何度もぞくっとする。
それに今は足が故障しているため、不審者に追っかけられても逃げられない。

そう思うと更に恐怖が増してきて急ぎ足になったが、痛みに我慢できず、立ち止まってしまった。

歩くのも辛くなってきた。あと家まで何時間かかるだろうか…。

俺「どうしよう、あと40キロはあるだろ………ん?」

風で草が揺れている川沿いで、何かが一瞬光った。

赤い光…なんだ……怖いけど…いや気になる…。

好奇心に掻き立てられ、痛い足を庇いながら土手の坂を下った。

俺「このあたりだったような…」

長く生えた草を手で払い靴で踏みながら隙間から見える光へ進んでいくと、隕石が衝突したような小さな穴を見つけた。
屈んでその穴をのぞいてみると、赤と白の光で輝く、結晶のようなものが埋まっている。

空から降ってきた…いや誰かが埋めたのか。まるでネウロイのコア…みたいな。

珍しい不思議なおもちゃを見つけたと思った俺は、綺麗な光に吸い込まれるように、手を伸ばしてその結晶を掴んだ。

音楽プレーヤーから流れる「帰路」の音楽が意識を飛ばすほど大きくなっていく。

帰りたい……

もう一度…初めから…

…やりなおせたら——



——1945年、春、ヴェネチア上空——

竹井「(この作戦でネウロイとのコミュニケーション実験が成功すれば、終結できるかもしれない……この戦いを)…っ!?」

竹井が雲の動きに反応して上を向いた瞬間、降ってきた赤い光熱線が目の前の人型ネウロイに直撃する。

交渉相手であったネウロイは悲鳴を挙げ身体は溶け去り、残ったコアさえも砕けた。

竹井「な、なぜネウロイのビームがネウロイを!?」

人型ネウロイ消滅後、竹井は更に上に位置する巨大な異変に唖然とする。

竹井「何…あれ…」

巨大なネウロイの巣は古い巣を破壊し、瞬く間にロマーニャ北部を飲み込んだ——

竹井「……こちら竹井…作戦は失敗した…」


『繰り返す…トラヤヌス作戦は……失敗した……』


——同時刻、ロマーニャ北部——

「……き……ろ……お…き……ろ……」

「起きろ!!」

俺「……えっ」

おじさん「やっと起きたか!ネウロイ共がすぐ上に来ている!警報も鳴った!早く逃げねぇと…」

俺「…は?」

目が覚めたばかりの俺の肩をその男は力強く揺らしている。

俺「や、やめてください…」

おじさん「しっかりしろ!!早く身体を起こせ!」

俺「あ……あの、どういうことですか?」

おじさん「いいから!とりあえずこの街から出るんだ!」

空には太陽が出ていて、周りが明るくなっていた。どうやら俺は寝てしまっていたようだ。
取り敢えず、現状がどうなっているのかさっぱりわからない。
川が小さくなって、草木どころか土手自体が消えていて、そのかわりに写真や絵で見たような海外の街並みが遠方へと広がっている。

どこだ此処…それに、さっきのおじさんが言っていたネウロイって…ギャグかなんかか…?

ネウロイ「————!」

聞き覚えのある異様な音と共に縦一直線の太い光が走る。

俺「は…っ…!?」

目の前の家屋へと上空から赤い光熱線が降って耳を劈く爆発が起こった。爆風は周りの家屋も巻き込み、至る場所から火の手が上がっていく。

俺「なんだよ…なんだよ……!?…」

空を見あげると、巨大な黒い固まりが飛んでいる。それはまさしく、テレビ、小説、映画で見たネウロイそのものだった。

頭を整理する。
グラフィックじゃない。
すっ飛び抜けている今の状況から考えられることは、ここは、ストライクウィッチーズの世界ではないかということだった。
フィクションの世界に行けるわけがないが、想像を塗り替える程リアルな光景だ。

俺「まじかよ…まじかよ…まじかよ…って……い…いよっしゃあああああああああ!!」

おじさん「なにをしている…!?狂ったのか…?先に行くぞ」

頬をつねる。痛い!これは夢じゃない!まさしくストライクウィッチーズの世界だ!
何がどういうわけか知らないが、あの赤いコアっぽいものに触ったせいだろう。
2015年、遂に仮想の世界に入れるとは!
あの人もネウロイがどうとか言っていたし…きっと俺は地球から抜け出したんだ!

俺「ってことは、あの可愛らしいウィッチ達もいる……!」

ますますテンションが上がってきた。以前「俺」を主人公としたスト魔女SSを読んできたが、 これなら現実にウィッチたちとの??????、????????、な生活が実現する!
それに違う世界から来たわけだし、特別である俺はもしかしたら魔法が使えるんじゃないか?
きっと俺は主人公で…ネウロイを倒しまくって…英雄にもなれる!

密かに抱いていたアニメの世界へ行くこと、しかもストライクウィッチーズだなんて、俺は抑えられないほど昂った。早速ネウロイを倒せるんじゃないかと思い、炎で溢れている街へと走った。
足の痛みは興奮により分泌されたアドレナリンで感じなくなっていた。

きっとどこかの家か倉庫に武器かストライカーが置いてあって、それを使って初戦果を上げる。

そうするつもりだった。


俺「…………なんだよ…これ」

道路の真ん中に呆然と突っ立った俺の前には予想外の惨劇が広がっていた。泣き叫ぶ子供、動かない大人。瓦礫で真っ白になった圧死体、黒焦げだ焼死体、肢体が失われた血の海。異様な悪臭。
上空のネウロイによって多くの人々が殺されていた。視界には必ず凄惨な光景が映る。


……は?……だって、ここは、ストライクウィッチーズ…の…

俺「…!?……ぁっ……はぁっ…っ…!」

混乱と恐怖でどんどん過呼吸になっていった。下半身から寒気が背筋を通って全身へ広がる。
頭には視線に入らざるを得ない死体の姿が焼き付いていく。

おじさん「……ぉい………ぉおぃ」

俺「!!」

声がした方に振り返ると、川の近くで俺を起こした人が、崩れた家屋の下敷きになっていた。
火の手はその家屋にも移っており、その人を巻き込みそうな勢いで燃え黒い煙が咳きこませる。

おじさん「…もう…もぅ…助からねぇ……足も手も動かない……体が熱ぃ…おいさっきの、そこに銃があるだろ…?」

俺「じ、銃…?」

足下に銃が置いてあることに気がつく。

おじさん「このまま…苦しみながら死ぬのは嫌だ……もう楽にしてくれ………」

俺「…………えっ…?」

信じられなかった。

俺「なに…言ってるんです……」

おじさん「…早く…してくれ…」

俺「………そんな…」

本や映像ではない。本物の戦争。さっきまでの浮かれた気分でいた自分は消えていた。

嘘だろ…殺せるわけがない…でもこのままじゃ…一人じゃ崩れた家屋を動かそうとしても無理に決まっている…
撃たなかったら…火でこのまま……

先程の焼死体の前で泣き崩れるお婆さんがフラッシュバックする。

…どっちにしろ、このまま俺は一人の命を奪うことになる。助けられない、なら…

俺は震える手でその人の頭に銃をかまえた。この人のためだと頭の中で連呼する。

そうだ…これは夢なんだ…夢ならこの人を…

今、俺は人を殺そうとしている。
夢だとは思えない現実味のある拳銃の重みを感じながら。

それでも言い聞かせた。これは夢だ、現実ではない。
狙いを定め、目を瞑って歯を食いしばり、引き金を引こうとする。


覚めろよ……こんなの…夢だろ…。


頼むから覚めろ……!


おじさん「…頼む——」




——ダァン!!




俺「——っ!」


銃弾は放たれた。


俺は気付けば引き金を引いており、肩まで響く衝撃と初めて間近で耳にする銃声で後ろに仰け反った。

冷や汗が滴り、恐る恐る閉じた目を開ける。


おじさん「……お前」

しかし弾は有らぬ方向に飛んでいた。
狙ったはずなのに、俺は普通に外していた。

……覚めない…夢じゃない…。

認めざるを得ない現実感に身の毛がよだつ。

俺「……はぁ…っ…!はぁ…!」

急に鼻が詰まったように苦しくて、口で息をした。呼吸さえも忘れていたのか。その時、


ネウロイ「ーーー!!!!」


いきなり、真上に大型のネウロイが姿を現す。

俺「……あ、ああ」

気がついた俺は上を向くと、すぐ近くにいるネウロイの大きさと不気味さにより、全身が震えだした。
そして死体の映像が頭を駆けめぐる。

俺「あ…ああ…う、うあああああああ!」

ネウロイに殺されると思った俺は、持っていた銃でネウロイに向かって撃ちまくった。

怖い。死にたくない。

俺には魔力があるはずだ、倒せるはずだ。
この世界でならきっと俺は特別で、魔力を使える英雄になれるはずなんだ。だからこの世界に来れたんだ。そう思っていたせいでもあった。

しかし、弾はすべて効かなかった。

俺「なんでっ…!なんで…っ!契約してないから!?でも…っ!」

もう弾がないのに引き金を何回も引いた。気付いたネウロイが、俺に向かってビームを撃つ体勢になった。

——俺も死ぬのか。あの人達のように。

怖すぎて下半身に痒みと熱が走り、漏らしてしまう。尿がジャージに染み込み、震えが止まらなくなった。
情けない自分の声だけが耳から聞こえる。

俺「誰…だれ…か…ぁ…助け」

ネウロイ「———!!!!」


その時、

竹井「はぁぁぁあ!」

ネウロイ「——!!??!」

竹井「早く避難して!くっ…!」

駆けつけた一人のウィッチが大型ネウロイに向かって機関銃を発砲。被弾したネウロイはよろけ、逃げるように遠くへ離れていき、そのあとをウィッチが追っていった。

俺「あれが…ウィッチ……」

咄嗟の出来事に腕の力が抜け落ち、拳銃を手放した。

目の前からウィッチとネウロイがいなくなり、火が燃える音だけが残っっている。

俺「た…助かった…のか…」

おじさん「お前……やってくれた……な…」

自分の命を守ることだけに気を取られていた俺は、銃の弾を全て使い果たしてしまった。
半泣きになりながらどうにかしてその人を崩れた家屋救い出そうとするも、手足の震えで力は少しも入らない。

おじさん「救急隊もこの惨事じゃ駆けつけることなんて無理だ…とにかくお前は逃げろ」

俺「…ご…ごめんなさい…た、ただ、身体が…」

足の力が抜け、尻餅をついて座り込んでしまった。
さっきから走ろうとも歩こうともしていた。ただ、完全に気が動転して微動だにしない。

助けを求める声も、大きく出そうとしても喉が止まってしまう。

俺「こ…怖くて……あ、足が…」

只々時が経過していた。


竹井「——……あなた達!」

俺「…えっ」

動けなくなった俺たちの所へ上空から駆けつけたのは504の竹井と、赤ズボン隊のマルチナとルチアナだった。

本物……の…ウィッチ……?

竹井「大丈夫!?今助けるわ」

俺「…竹井…醇子?」

ルチアナ「…あれ、知り合いですか?」

竹井「…あなた…どこかで?」

俺「い…いいえっ」

マルチナ「ははっーん!もしかしてファンだとか」

俺「……」

こんな状況でもこのテンション…やっぱり本当のストライクウィッチーズの世界に…ていうか…この人達が魔女か……。

本物だ……。

竹井「ルチアナ、この瓦礫を!」

ルチアナ「了解ですっ!」

瞬く間におじさんを下敷きにする崩壊した屋根を持ち上げ、救出した。まだ息はある。直ぐさま治療を受けなくてはならない。

竹井「この人を担いで避難します!フェル、そっちは?」

フェル『アンジーは救出したわ!私と一緒に避難地域に向かってる』

竹井「了解。これより私達も市民負傷者2名を連れてそちらに向かうわ」

インカムで竹井は連絡を取り合っていた。

無力である自分との歴然の差を目の当たりにし、何もできないことを痛感する。

竹井「ルチアナはその人を担いで!マルチナは私達の援護を。あなたは…」

俺「は…はい…」

竹井「私に背負わせてください」

俺「え…………」

確かに今すぐにこの場から離れなければならない。しかし、

俺「…でも……」

俺は尿を漏らしていた。

それなのに背負わせるだなんて……折角…出会えたウィッチなのに…。

俺はふと、股の染みを隠そうと無意識に手を動かしてしまっている。
同時に臭いを確認するためか鼻で息をしていて、アンモニアの刺激臭がするのは確実で、言い逃れはどのみち出来そうにもない。

俺「これは…」

羞恥で逃げ出したい。

俺「………その…」

竹井「……気にしないで」

俺「…………——」


竹井の背に乗り、俺は空から炎に包まれた街を眺めた。大勢の命が失われた、戦火の渦中。ストライカーの振動音か自分の震えなのかどうかも分からないほど恐怖が抜けきれない。この震えは彼女にも伝わっているだろう。

竹井「…あなた、扶桑の方?」

俺「………はい」

空を飛べる勇敢なウィッチに背負われている、ボロボロになった自分。劣等感が身を占め始める。そして少しの安堵から、俺は主人公になれると期待していた自分が急に情けなくなって涙が溢れ出した。

俺「……ごめん…な…さい…」

竹井「いいのよ…無事で良かった」

俺「…ご…めん…なさい…っ」

竹井「安心して…」

俺「…何も…っ…できなかった…」

竹井「………私も昔はそうだったわ」

元の世界でストライクウィッチーズ零の漫画を読んだから、竹井のことは知っている。優秀な周りと比べ、自分の存在意義があやふやになったことも。

でも…俺は…お漏らしの……最初からきっかけも何もない…弱いクズだ……

俺「……どうしたら…戦えるのでしょうか……っ」

竹井「……」


俺「……もし、魔法力があったら…」

竹井「……あなたにもできることはきっとある」

できる…こと——


竹井「…だから、今は休んで?——」

その笑顔が、俺に今、生きていられたということを実感させる。


俺「…はい」

憐れみでもいい。
ただただ、彼女の背中と優しく響く声が暖かかった。


——その後、俺には行く場所もなく、元の地球に帰る方法も分からなかった。魔法力の治療によって復帰したおじさんは軍人らしいため、その人の紹介で軍に入隊した。
以外にすんなりと入隊できたのはそういうものだからなのか。
身体検査にて当然、魔法力は検出されず、主に男性のための生活雑用係新兵として、ロマーニャの501戦闘航空団に派遣された。

やっぱり俺は、どこの世界でも俺のままだった。


——


——ストライクウィッチーズ、ロマーニャ基地——

彼「えー、本日より501戦闘航空団ストライクウィッチーズの一員として配属になりました、彼少尉です。どうぞよろしく」

ミーナ「彼さんはごく希な男性ウィッチとして、今日からここの一員となります。みなさん、仲良くしてくださいね」

坂本「うむ」

宮藤「は〜い………って…」


「「「男ぉ!?」」」



つづく



次回予告

501の基地に配属されることになった俺。
ウィッチ達に会えることに多少の嬉しさを抱くが、あの日味わった光景が忘れられず、この世界に来てしまったことの重大さに悩んでいた。

一方、新ウィッチとして「彼」がウィッチーズの隊員となる。

同い年の彼は、俺とは違う、成功を重ねてきた奴の顔立ちだった。

次回、第2話「彼との違い」
最終更新:2015年03月06日 12:57